謡でおなかを掘ること

[ Post Date ]
2007/10/19
[ Category ]
舞えや謡えや

「葵上」の謡の稽古をずっと家でしていた。怨霊や巫女役の謡に珍しい節回しが多い、難曲。
おなかで謡うこと自体は以前からしているが、まだまだ私の場合、おなかで声の響く部分が狭い狭い。師匠の寺井良雄先生の謡と対面稽古で比べても、師の声は本当におなか全体にひろびろと響き、声の深さと幅が全然違う。師のおなかはよくすみずみまで耕された畑のようで、すべての部分が謡に参加している。

私もじぶんのおなかを耕す。どうやって耕すか。声で耕すのだ。
謡の発声は、丹田から、より下方に向かって声を出す。ときには、下方に突くように、下方に掘るように、下方に押すように。でも、私の実感としては、その下方にはガチっとした「岩盤」のようなものがあって、突いたり掘ったりできない。声がはねかえされてしまう。そこをがんばって、お百姓さんが鍬でひと掘りひと掘りするように、掘りすすめる。もしこの岩盤がほぐれて耕せれば、私のおなかの、声の響く場所はもっと広くなり、もっと深い声もでるはず。全力の息で声を出し、いつしか汗だく。
なぜおなかに固い岩盤があるのか。それは私のおなかや、全身のどこかに無駄な力が入っているからだろう。その無駄な力の元を自分の身体に探り、それを脱力できれば、岩盤はゆるんで、鍬もはいるだろう。あちこちの部分をゆるませながら、この全力の稽古をする。
いつも難しいと思うのだが、全力をこめて掘ったり突いたりすることと、身体の力を緩ませることを同時にしなければ、この岩盤を掘り進む作業はできないのだ。身体の感覚をこまかく割って、力をこめる部分と、力をぬく部分を使いわけなければならない。

へんなたとえを思いついてしまった。「おかまを掘る」ときには、掘る人と、掘られる人は別なので、掘られる人は、ひたすら力を抜けばいいらしい。だが、謡でおなかを掘るには、掘る人と、掘られる人は同じ私。おかまを掘る、掘られるよりずっと難しいだろうと思う。(失礼しました。)
おなかを掘るために、余分な力を抜くこと、そして全力の声で突いていくこと。

このふたつのほかに、まだまだ課題がある。寺井先生によると、私の謡には、まだ「声を締める」力が弱いのだという。おなかを掘って全体に声が響くようになるだけでは、謡の声としては不足で、そのおなかを、特に丹田下を中心によく締めて、声にピーンとした張りを出すことが大事らしい。なんてむずかしいんでしょう。
こんなふうに、自分の息、声、おなかの各部の感覚と汗だくになって対話することが、私の謡の稽古。能の謡くらい難しい発声は、世界中にもあまりないんじゃないでしょうか。

[ Post Date ]
2007/10/19
[ Category ]
舞えや謡えや
[ Trackback ]
http://www.typepad.com/services/trackback/6a0128758a7294970c0120a688a1be970b