能のワキのこと
- [ Post Date ]
- 2007/10/22
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- 舞えや謡えや
この題字「いまをかんじて」(舞えや謡えやのカテゴリー)のバックになっている写真は、以前私が宝生能楽堂で、「嵐山」ツレの姥をつとめたときの写真だ。装束をすべてつけたあと、鏡の間でまさに面をつけようとしているところ。シテは姉弟子の吉田幸子さん、ワキは宝生閑先生。
人間国宝の宝生閑先生の舞台でのあり方は、このときの舞台体験全体を通して、私には特に印象的だったことだ。ツレの私はワキとの問答の場面があったのだが、問答しながら味わった宝生閑先生の、なんという懐の深さ。シテ方を受けとめ、支える、ワキ方ならではの地味だが深々とした力は、見所から観ているだけでは、これほどとは気づかなかった。がっしりと向き合い、何があっても動じない。どうぞ存分にやってごらんなさい、と全身で待ち受けてくれている。
怨霊でも神様でも、狂人でも花の精でも、どんな信じられないような存在がでてきてもワキは全存在でそれを受けいれる。ほかの誰の前にも出られないでいた存在たちが、そういうワキの前には姿を現し、誰にも聴いてもらえなかった話をし、ようやく満たされて成仏したりする。ワキが身体で発する受容力がなければ、お能自体がなりたたないのだ。閑先生の存在のありかたは、そのことを、何十年ものあいだ真摯にやり続けてきた方ならではのものだった。
宝生閑先生の語録にこういうものがある。「ワキにとって目が大事だ。目を動かしたら駄目だ。また、なるだけ瞬きをしないように。ワキというのは直面でいながら現在にいるわけではなく、中世の世界にいるんだから、死の世界もわかっていなければならない。その時代を現代に具現するためには瞬きをなるたけしない。そうしないと中世が蘇ってこない。」こう、お祖父様の宝生新師に言われたという。(下掛宝生流HP)
本当に、何事でも目撃できますという目で、シテ方を受けとめておられた。
日常のなかでも、このような目、このような人を受けとめる姿勢には、まれにだが出会うことはある。
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