からだ遊び、伝承遊び

[ Post Date ]
2007/10/30
[ Category ]
身体・性・舞踊

明治大学情報コミュニケーション学部で後期、「身体コミュニケーション」の授業をしている。昨年につづき今年で2年目だ。科目名は「身体コミュニケーション「論」」ではないのだし、存分に実習をおこなっている。最初の3回ほど教室でレクチャー中心の授業をしたあとは、毎回体育館をつかっている。そろそろ学生たちものりだして楽しくなってきた。

ここ3回は、「遊びのコミュニケーション」「声のコミュニケーション」「出会いのコミュニケーション」をテーマにして、いろいろなからだ遊び、特に伝承遊びをとりいれた。「だるまさんがころんだ」「かごめかごめ」「とおりゃんせ」などなど。大学の授業でそんなことするの?と言われるかも。でも、こんな有名な伝承遊びでも、はじめてやるという学生が半分近い。みんなが飽きるほどやってきたなら、大学でする必要はないだろうが、したことがないなら、やはり大学生向けに解説を入れながらでも、やる意義がある。

伝承遊びの奥は深い。「ずいずいずっころばし」をやってみようね、と、この歌を知らない学生をあちこちのグループに散らばらせて、みんなで遊んでみる。「♪・・おっとさんが呼んでもおっかさんが呼んでも行きっこなしよ、井戸の周りでお茶碗欠いたのだあれ?♪」そして私「これどういう意味の遊びかな?・・・エッチな意味って知らなかったでしょう?」この話で学生がびっくりするのを見るのは大好き。「・・だいいち指をつぎつぎ突っ込んでいく自体がエッチなしぐさなのよ。「お茶碗欠く」って、昔の比喩の表現で、「新鉢を割る」ともいうけど、初体験をするっていう意味なのね。井戸の周りで初体験しちゃったのだあれ?っていう意味ね!最後に指がはまった子を「わあい、やったんでしょう~?」って囃す遊びなのね。」学生はざわざわ。ちょっと赤くなる学生もいる。それで、西洋化以前は日本では子どもが性的な世界から隔離されていなかったこと、子どもの性体験も珍しくなかったこと、それが悪いこととは思われていなかったことなども話す。子どもの遊びだからってばかにできない、自分たちの知らない未知の世界がその中に広がっているようだ、と学生の関心が急に深まってくる。

いろいろな伝承のからだ遊びをみんなでやってみる。
「かごめかごめ」は「籠女」「囲め」など少し怖いイメージがふくらみ、「鶴と亀がすべった」なんて、奇妙な、不思議な歌ね。「はないちもんめ」は売られた遊女の花代がたった一もんめだという悲しい暗い世界も歌われている。伝統うたには、社会や生きることのネガティブな面、悲しい怖い面が歌われてて、子どもにもそういうことは隠されていなかったのね。
伝承遊びの身体体験は本当に豊か。「かごめかごめ」ではぐるぐる回って、ちょっとしたトランス状態が味わえたり、「うしろの正面」を声で聞き分けて当てたり、あるいは人の気配だけで当てる高度な感覚が使われるね。「だるまさんがころんだ」では、緩急の急変のスリル、鬼の見ていない間に人と人の間合いが変わる驚き、フリーズするときのポーズの面白さなど、楽しさがぎっしり。

小さいころからスポーツはやってきたけれど、あまり子どもの遊びはやったことがない、という男子学生たちがたくさんいる。スポーツもいいけれど、でも、からだ遊びの幅広さには、歌、イメージ、世界観・・いろいろな点でかなわないと思ってしまう。また、スポーツは嫌なときにも我慢してトレーニングするものだが、からだ遊びは「つまんな~い」「いっちぬけた!」と止めて、別のもっと面白い遊びに切り替えられるものだ。いつでも一番面白い状態を作り出す力は、からだ遊びのなかでこそ養えるのではないか。やはり子どもにはスポーツよりも遊びだと思う。

まだ学生達は、伝承遊びでもただ決められたルールで止まったり走ったりするだけで、からだが弾み、からだが遊びだしていない人が多い。学校の先生になりたいという学生達もまじっている。この学期に、どれだけからだが遊べるようになるかな。そう思うと楽しくも真剣になってしまう。

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2007/10/30
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身体・性・舞踊
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