子ども達と競争

[ Post Date ]
2007/11/30
[ Category ]
社会

子どもの小学校の持久走大会があった。私は今年度学級委員で、ゴールした子どもたちに飲み物を渡してねぎらう役でもあったので、応援にでかけた。時おり雨も降る、寒い日。

雨宿りもまじえて大変だったが、予想もしなかった驚きがたくさんあった。持久走大会とは、今の小学校生活では最も順位があらわにされる、競争の機会だろう。体格や運動能力が、全校生徒と親達の前にさらされる。子どもによっては厳しく辛いことだ。うちの子も、学年が上がるごとに順位が下がってきて、おかあちゃん見に来なくていいよなどと、気にしていた。でも、この日出会った子ども達はみんな、競争に対してこの上なくバランスのとれた捉え方をしていたのだ。

誰もが精一杯走っていた。先頭の子たちの熾烈な争い。6位にはいって泣き出してしまう女の子は、もっと上位をねらっていたのだろう。他方、32位のビリになってしばらく泣いている子もいる。その子にクラスメートが何か話しかけている。先頭集団の子たちだけでなく、ビリに近い子たちも誰一人、勝負を投げていなかった。男子30人で走るなかで、23番目と24番目の子がゴール間近で競り合って逆転した場面もあった。本当に真剣に競っている。

遅い子たちが牛のように走っているのを、先頭の子たちが周回早く、カモシカのように軽々と追い抜いていく。遅い子の、抜かれるときのくやしさは見ている側にも感じられるが、それでも自分のベストで走ろうとしている。お母さんたちも感嘆。「子どもは偉いねえ。私だったら諦めて歩いちゃう。」

最後の2、3人は200メートルも300メートルも遅れてくる。先に着いた子たちも待っているのは、冷えて辛い。でも子ども達は、遅い子の健闘を素直に応援して、みんなでその子の名を連呼したり、拍手したりを自然にしていた。形式だけの応援でもなく、可哀想だから哀れんでいるのでもなかった。これだけ競争に真剣になるのに、負けた子には、負けたけれど精一杯頑張ったことを讃える。競争に全力をかけながら、競争の相対的なこともわかっている。

こんなことは、ここ二、三十年のどの時代の子どもにもできなかったことではないだろうか。受験競争の重圧が強かった時代には、どんな競争にせよ負けた子どもたちは劣等感を味わったし、そういう子を励ますのは白々しいことだった。そのあとのバブル期、にわか長者が増えた頃には、真面目に競争して勝つことがダサいことになり、リレーの選手に選ばれた子が「なにあいつがんばってんの?」と鼻で笑われたり、みんなでそろって「いっせーの、」でゴールインするなど、真剣な競争への忌避感が強まった。そのあと今、格差社会が到来したといわれ、都内などには、子どもの階層確保に投資する、お受験熱にかられる親達も多い。この公立小学校が、中学受験の子が少ない、郊外ののんびりした学校だからこそ、こんな余裕のある成熟した見方が可能になるのだろうか?ともかく、いろいろなタイプの子をそれぞれ励ましてくださってきた、先生方のご指導の力が大きいことは確か。有難いことだ。

最後のグループ6年生男子の、ビリの子山田君(仮名)が、最後のトラック一周を走ってきた。丸顔で、笑っているように口を半開きにした表情。山田君は、架空の国の地図を詳細に描くなど、独特の才能があってクラスでも面白がられているとか。最後の80メートルくらいに来たとき、えっ? 目を疑った。学年の女子30人くらいが自然発生的に、わーっと山田君のところに駆けていって、楽しげに一緒に伴走しはじめたのだ。山田君!?君、一番いい思いしてるじゃないの!!男子達も、「や、ま、だ!や、ま、だ!」と皆で山田コール。山田君は女の子たちに囲まれ、丸いほっぺをつやつや輝かせて、満面の笑みでゴールイン!今日は最高の日だね、山田君。

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2007/11/30
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