節分
- [ Post Date ]
- 2008/02/04
- [ Category ]
- 身体・性・舞踊
以前、森繁久弥の映画「社長シリーズ」を見ていたら、節分の日という設定の一本があって、今は失われた、昭和30年代の習俗が思いがけず見られた。
高度成長期とは、ずいぶんのんびりしていた時代だった。森繁社長が「さあ今日は節分だし、みなさん仕事は早く切り上げて、おうちに帰りましょう」と呼びかけ、自分は夕刻からクラブに遊びにでかける。するとホステスさんが、「今日はおばけがでるのよ」といい、全員、いろいろな扮装をして出迎えるのだ。お侍、旧制高校のバンカラ学生、もの売り・・・。それはまったく、ハロウィーンの仮装大会そのもの。そういういろいろなおばけたちと、お客は普段とは違ったはめの外し方をするのだ。へえ、日本にもともとハロウィーンパーティがあったのか!
それで気づかされた。節分は季節と季節の境目。民俗学でいうように、境目からは、普段秩序の力で追いやられている異界の魔物たちが表れ出て、一夜この世を跋扈する。ハロウィーンも感謝祭前の季節のはざま。また、なまはげがでてくる大晦日も、年と年の境目だ。異界の魑魅魍魎が侵入してくるとは、この世にとっては危機でもあるが、わけのわからない力の持ち主達は、なまはげもそうなように、どこかこの世を甦らせ、知恵をくれる。なまはげにお酒をすすめ、ハロウィーンのお化けたちにお菓子をあげるように、人間は魔物を丁重にもてなさないと。
また気がついた。節分の豆まきは、決して鬼に石つぶてはぶつけない。炒り豆なんて昔は典型的なお菓子だった。それを撒くとは、ハロウィーンでお化けにお菓子をあげるのと本質的に変わらないだろう。私たちは豆で鬼をある意味もてなしているのだ。
鬼をもてなし、しばし鬼とたわむれる。日ごろは秩序の外に追いやられている怪しげな存在とたわむれる。常は考えられない姿態、趣向、性癖、相手。この世のことでないような一夜があっただろう。オルギーも。人間達は異界の存在と交わり、異界のエロスの力をわが身のうちにも感じただろう。
最近「恵方巻」という太巻き寿司が急にでまわってきた。数年前、コンビニが売り出したのが始まりだったが、よほど宣伝がうまかったのだろう。もとは恵方巻を食べるとは、関西の花柳界のローカルな習慣だったらしいのに。
でも、こんなふうに節分を考えてくると、花柳界の人が、太くて長いものを、包丁を避けてまるごとかぶりついて無言でのみくだす、ということがシンボライズしていることが何か、当然考えられる。う~む、日本中の老若男女が、この太くて長いものにかぶりつく、新しい習慣ができたとは。誰も何も気づかないのかしら。
ほとんどのお祭りがもともとエロスの祭りだった。生きる力はそこで一番高まるのだから。みんなそこに気づいたらいいんじゃないかな。
一夜あけ、立春。ぴかぴかの秩序があった。
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- 2008/02/04
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