『あたしが海に還るまで』内田春菊著

[ Post Date ]
2008/03/25
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読書ノート

内田春菊さんのほぼ実体験を描いたという小説。『ファーザー・ファッカー』の続編だ。
主人公は義父の性的虐待をうけ続けてきた。義父は権威的で暴力も振るう、異常人格者といっていいような男だ。義父とは内縁関係にある母は精神的にも社会的にも無力で、義父との関係を維持したいがために娘を性的に斡旋する。そんな異常な家族関係のなかで育ちながらも、精神異常にもならず、自殺もせず、異常な家族関係を繰り返すこともなかったのは、彼女に何があったからだろう?この点に大きな関心を惹かれつつ、夢中で読んだ。

15歳で妊娠・末期中絶の辛酸な体験をしながらも、彼女は次々と自分から性関係を求めていく。性的虐待を受けた人が陥るという「性化行動」なのだろうが、その危うい行動の意味もまたひしひしと伝わってくる。
子ども時代から義父の性的な視線になめられ、性的な将来を言いわたされ、早く目覚まされた性の意識がすべて義父の支配下に置かれていた彼女は、性的でありかつ自律的である力を自分のものにするために、みずから望んだ性関係を、できるだけ豊富にもつ必要があったのだ。
誰とでも寝ようとする少女が出会うような男達は、責任感もなく、思慮や、思い遣りも足りず、彼女は繰り返し苦い目に会う。それでも、彼女は諦めることがない。馬鹿な男はさっさと捨て、自律的に次の性関係を結んでいく。

彼女の18歳のころの叙述として、「セックスするときは、自分がどうやったらいくか、もうだいぶわかってきてはいたのだが、一人でいったことはなかった。」とある。早くから性体験を重ねてきた人にしては、感覚の発達は意外に遅いと私は思った。何人もとの、何十、何百回もの性体験は、感覚的な快よりも、自律性という、精神的な、関係的な価値を希求して、夢中でなされたのではないかと思う。

でも、性的虐待の体験者のなかには、人に触れられること一切に嫌悪感を示し、性的なものすべてを忌避するひとも一方でいる。
性的に非常に活発になるか、性を忌避するかは、何で分かれるのだろうか?生殖機能の強弱の差は関わるに違いないが。
リスクはあるものの、性的に活発になる人には、忌避する人よりも、虐待経験を積極的に乗り越える可能性は大きいのではないかと思う。

そうやってする大抵のセックスで、自律性を得ていく一方、彼女は、女への強制や、痛手や、負担も、ないまぜに与えられてしまう。だがその混濁を彼女は、多くの女性達とは異なって、不幸一色にはとらえず、自分の感覚だけをたよりに弁別しようとしているようだ。

集団レイプの被害に会ってしまった場面がある。
10代にして、こんな風に受け取れる女性がいるなんて。
「ただ粘土のようにこねられながら何人もの男にのっかられているのは退屈だった。輪姦すんならもっとさっさとやってほしいと思った。」「あたしがうっかり飛び込んでしまった場面だ。責任はあたしにあるんだから同情して欲しいとまでは思わない。」だが「だれが望んで輪姦なんてされるものか。」
普通レイプの責任は女にあるなどと女は考えない。彼女が、責任はあたしにある、と言い切るのは、それだけ彼女が、性的な災厄を自分の力で克服しよう、と強く意図しているからにほかならない。災厄を避けたり、乗り越えたり、止めたりする力を身につければそれだけ、彼女は自信を抱けるようになる。そのためにも、ある意味で災難に飛び込むことは、彼女に必要だった。

それでも・・・。彼女は望まない性的被害を、いやというくらい受け続ける。
不思議と、幼時に性的虐待を受けた人にかぎって、そうでない人とは比較にならないくらい、痴漢やレイプの被害にあう頻度が一般に高い。
何か、目に見えない、そして自分でも変えることのできない、特殊なオーラ?特殊な氣?を、そういう人は身体に帯びてしまうのだろうか?それが男の無意識の出来心を誘ってしまうのか?
主人公・春菊さんは、こうして克服しようにもしきれない、災厄にあい続け、無力感、絶望の闇にも突き落とされてしまう。

彼女が随分早い時期から、義父の性的虐待を受けたことを人に語っているのも、珍しいと思った。
私がこれまでお会いしてきた、アダルトチルドレンや性的虐待のサバイバーの方達は、20代や30代になって初めて、決死の決意をし、声を震わせながら、虐待体験を語られた。語って共感を受けることは、虐待体験のある方にとって、本当に治癒的なできごとだ。だが、ほとんどの人は、自分だけが特殊な体験をしていると思って隠し、誰にもわかってもらえないだろうと予想して抱え込んでしまう。主人公・春菊さんが、わかってもらえないかもしれないのに語り、漫画や小説や音楽で表現しようとしてきたのは、自己治癒力の稀有な強さを表していると思う。
彼女は生殖機能が強靭なだけでなく、表現能力にも恵まれて自己治癒的表現活動を意欲したことも、幸いだった。

内田春菊『あたしが海に還るまで』文春文庫

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2008/03/25
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