バリ島の身体文化 (工芸文化、手の文化)
- [ Post Date ]
- 2008/04/03
- [ Category ]
- 身体・性・舞踊
3月末に1週間ほどバリ島に旅行した。
バリを知る方からは口々に言われていた「平山さんなら、きっとはまるよ。」
ほんとうだった。まずは、熱帯なのにしっとりした厳しすぎない気候、みずみずしい緑、温和な風土・・・。居るだけで、身体の奥のいくつものむだかりが、ひとりでにほどけていく。
観光地には、人々を惹きつける、他の地にはない資源があるもので、ある地には峻厳な自然が、ある地には史的遺産が、ある地には温暖な日差しが豊かにある。
バリの観光資源はなんだろう。美しく穏やかな海や山ももちろんだが、バリ独特の、舞踊、祭礼、伝統工芸、癒しのマッサージ・・・。他に類をみない身体文化である。さまざまなジャンルの優れた身体文化が、この島を国際的な観光地とし、その文化は観光の波にもまれても磨耗せずに発達を続けている。
バリの人たちの身体遣いから私はずっと目を離せなかった。
バリの人たちは、熱帯には珍しく、なまけずに身体をこまめに遣う。インドとか、フィリピンの、なんとなく人がのんびりぼけーっとしているのとは違う。
バリの内陸には富士山くらいの山などがあり、傾斜も大きい。そんな山地に、あきれるほど丹念に棚田がめぐらされている。段差も50センチも70センチもあるような棚田。牛が耕すそうだが、田植えや稲刈りは人海戦術で、たくさんの人たちの働く姿が見えた。日本では棚田の保全がとうに難しくなっているのに。温暖なので三期作するという。一年に三度も田植え、稲刈り、脱穀・・・。何と言う重労働!
バナナや、ココナッツやドリアンが自然と実って、手をかけなくても人は食べ物を手にいられれる土地だ。
それなのに、その状態に甘んぜず、灌漑をおこない水を張りめぐらし、棚田を開墾して手をかけて耕作の努力をしてきたバリの先祖達。その多大な努力の源は何だったのだろう?
ともかくその時期、何か文化の変化があったに違いない。そこで身についた勤勉さが、インド、フィリピンとは違う、根気強い、念入りな身体遣いを可能にしている。
バリはとても清潔だった。熱いのに、街のどこでも腐敗臭がしていない。
なぜ?
秘密がだんだんわかってきた。どの家も、お店も、門の前に日に3度、神様への小さな捧げ物をする。バナナの採りたての葉っぱで作った小さなお盆に、いろとりどりのお花や、ごはんや、クラッカーや、お線香を載せたものだ。それを捧げなくては、人間は食事をしてはいけないという。小さなお盆やお花は数時間もたつと色あせてしまう。それを次の礼拝のときには下げて、作りたてのものに取り替える。
神様への捧げ物をするまえに、その門の前は掃き清めるから、自然と家の前や通りはいつでもきれいに清潔になる。日に3度お掃除をするなんて、その勤勉さには頭がさがりますよね。
この捧げものを女達があちこちで作っている姿もみかけた。バナナの葉っぱを切り、折り紙を折るように小盆を作ったり、天井や軒から下げる燕や、花などの飾り物を作ったり、儀式に特有の飾り物を折ったり。手先もおのずと器用になるはずだ。
こうやって生活の中で養われた手の器用さは、高度な工芸品の製作にいかんなく発揮されている。
よく日本で「Made in Indonesia」の雑貨や衣類を見かけ、安いのに品質のよいので感心するが、多くはバリ島で作られているのではないか。
本当にバリ島中、どこに行っても、工芸品の村々が続いていた。
家具製造の村には、家具を積み上げたお店や工房や卸が、ずらっとどこまでも軒を連ねている。
木彫の村には、仏像や神像や、彫刻をした窓枠や、木彫のプレートや置物などが並んでいる。
石彫の村には、やはり仏像やヒンドゥの神々の像や、灯篭などが並んでいる。
さらに、金銀細工の村、アクセサリー製造の村、絵画の村、バティックの村、イカット織の村、皮革製品の村、貝殻細工の村、籠編みの村・・・。
日本も江戸時代までは、こんな「手の文化」が百花繚乱だったようだ。(渡辺京二『逝きし世の面影』平凡社文庫 など)
日本の近代化には、この手の文化は大いに役立ち、日本製品の優秀さを支えたのだが、こんなに人件費が高くなった今では、日本で手作りした製品は、売り物にはしにくい。手の文化を産業として生かすには、ある程度の人件費の安さが必要なのだろうか。この文化と経済のアンビバレントを超えるやりかたはないのだろうか?
銀細工の様子を見学した。
女性の職人さんたちが見学用に、銀細工店の戸口の外で、作業を見せてくれる。
それはため息のでるほどの細かい作業だった。
一ミリの5分の一くらいの細い銀の糸の、先端をピンセットでくるくると5重くらいに巻く。
くるくると巻いた部分が並ぶように、そういう糸の根元を7本くらい束ねて、バーナーで小さな火を送って留める。
それを一セットとして、別の一セットと上下逆にして、特殊な接着剤で留める・・・。
また、直径0.5ミリくらいの銀のつぶを、ベースに3つ並べて、または5つ並べて接着剤で留める工程もあった・・・。
細かいアクセサリーが、こうやって一ミリ単位で作られていく。
これはアジアでも、フィリピン、インド、ネパール、マレーシア、タイなどの人たちには無理な技だと思う。
バリ人の手工芸品を生み出す「手の文化」にはすっかり感服してしまった。
工業化に遅れたからこそ、工業は他国に任せ、工業化では満たされない世界中の人々の、手作り品への要求にバリは上手に応えている。産業発達の時期がちょうど人々の能力と適切に出会ったと言える。数十年前までは、工業製品よりも手工芸品が求められるということはなかったのだから。
日本は、産業化の時期がもっと早かったために、かなり徹底して人々は手工芸の技を捨て、工業製品を作るようになった。
しかし、もとは、じつはバリ以上に優れた水準の「手の文化」を花開かせていたと私は言いたい。
バリのバティックがすぐれていようとも、日本の友禅染には精巧さや微妙な表現で、全然及ばない。
イカット織がきれいでも、日本各地の縦横絣に比べると、まったく素朴すぎる。
バリの木彫はすばらしいが、本尊を彫らないせいか、日本の仏像や能面のような精神性の表現は全然できていない。
日本の根付の象牙細工、木彫などの良いものをみると、バリの工芸品はまだ1.5級か2級だと思う。
日本のこれほどの高度な「手の文化」は、ほとんど壊滅状態。日本の子ども達はもうお箸も使えない。小刀も使えない。そんな今、この文化をどうやって受け継いで、生かしていったらいいのだろう?ほんとうに。
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