きもいと言われ

[ Post Date ]
2008/06/22
[ Category ]
社会

私の子ども時代、「きもい」という言葉はまだなく、「きもゲー!」という言葉がはやっていたので、7、8年ほど前、はじめて「きもい」を耳にしたときには、この、感情をのみこむような表現はなんだ?と驚いた。かつて子どもたちは、「き、も、ゲー!!」と吐くしぐさをしたのだが、それは嫌悪感を素直に発散して爽快感があった。だが「きも~」、「きも~い」は、身体表現として随分ちがっている。「ゲー!」という素直な発散ができない。代わりに、「きも~・・・」の「・・・」の部分で、何か得体のしれないものへの不安感を、人は飲み込み、絶句している。

異常犯罪が増加していると、事実に反して(! これは広く知ってもらいたいことです)現代人が信じてしまっているのも、こういう、吐き出せなくて日々身体に残ってしまう、不安感のためではないか。

今、中学生時代すでに、特定の生徒たちは、周りから「きも~い・・・」と言われ、そのために、克服しがたい劣等感を植え付けられているようだ。大事な思春期を劣等感に染められ、萎縮してしまい、劣等感ゆえ生身の異性に関心を示すことからも撤退する。高校生時代には、すでに「きもい」といわれる人は固定化してしまうようだ。
中学高校で異性への関心がめばえる時期、女子たちは、男子が何を考えているのか、とても気になる。彼女たちは、男子の得体のしれなさに敏感になり、それを帯 びた人を「きもい」と評してしまう。傷ついた男子には、どんなに女性の残虐さ、醜さが骨身にしみるだろう。女性への関心がめばえている彼らを、女性たちは、交流可能な 世界から追放するのだ。
少年のなかには、決して自分を傷つけない、2次元世界の異性のキャラクターとの対話に救いを見出す人もいる。女 性の非道さ、醜さの存在しない、美しい世界で。こうして身体の性的機能も、異性とのコミュニケーション力も育たないまま、彼らは大人の年齢を迎えることが多い。

私は大学で、こういう経歴をたどった人たちにたくさん会う。自分の人生をたてなおす場所が大学だし、学生はそれができる年齢に達してはいる。でも、思春期に負った劣等感を払拭していくの自体容易でない。それに、男女関係にかかわることについては、教員が学生に働きかけるのはとても難しい。この男子学生たちが、高い可能性として30歳童貞、40歳童貞になっていくと思うと、なんとかしないと、とは思うのだけれど。

「きもい」とは、おとなしくて明確な自己表現をしない人の、とくに男女関係について何を考えているのか得体の知れない状態、といっていいだろう。風変わりでも自己表現する人や、凝っているジャンルが女関係とは遠い人、そして何も考えていない人は、そうは呼ばれない。

美少女アニメや美少女ゲームが登場する以前の、鉄ちゃん(鉄道マニア)や、機械おたく、無線おたくらは、思春期や青年の性的エネルギーを無性的なジャンルに凝ることで昇華させていた。女の子たちは、そういう男性は理解できないけれど、人畜無害なので「きもい」とは言わなかった。私の同級生のおたくの男性たちでも、とくに劣等感をもつことなく、長じて遅咲きながら、恋愛や結婚をしていっている人が多い。

それにくらべ、アニメやゲームファンの脳内に、外部からはわからない絢爛たる性的世界が創りだされる時代の思春期は、かつてない難しさをかかえるようになったと思う。

中学高校生時代に男女関係で何を体験し、知るかは、男として女としての生涯を決定するくらい大事だろうに。

性の世界にふれはじめた年代が多彩な自己表現ができたら救いだろう。文章、まんが、身体表現、芸術表現などなど。大学生で養うべき力も基本的には同じだろうし。何かで表現できれば、きもいとはいわれないだろうから。
それからいっそ、男女別学で、男子たちが女子の評価の視線から自由に育てば、劣等感を背負いこまずにのびのび成長できるだろうとも思う。

13歳は昔の日本では「ふんどし祝い」「腰巻祝い」など、大人の身体になったお祝いをした年齢だ。村によっても違うが、このお祝いの日に村の大人が性的初体験の相手をしてやり、それからは実地で性教育をしていったところも多い。なんて行き届いた教育だろう。性という闇も光も濃い世界に、大人が少年少女の手をひいて導いていったとは。
誰も手をひいてやらず、闇や光との出会いを表現するすべも示さず、絢爛たる世界に誘って脳内世界に籠らせたあげく、「きもい」と呼ばれる子を生み出している現在とは、なんて酷なのだろう。

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2008/06/22
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