友人を送る
- [ Post Date ]
- 2008/07/21
- [ Category ]
- 日々のこと
7月20日(日)
破天荒の生き方をされ、最後の数年を山谷のホスピスで送っていた友人Tさんが亡くなったとお知らせをうけた。
この日、町屋の斎場でお見送りがあり、そのあとホスピスでお別れ会があった。
そのお見送り。私は朝、避けられない用事があって、時間に遅れていかざるをえなかった。
お骨になる前の姿には会えないかと思いつつ、申し訳なく、名残惜しく、親しくさせていただいた日々を思い出しながら斎場に急いだ。
ところが、何と運のよいことか。私が駆けつけたのは、ちょうど、お棺に参列者が花などを入れ、最後のお別れをしているところだった。予定通りなら、もう焼き場に入っている時刻だった。Tさんの、離れて住まわれていた息子さんが遅刻されたので、予定を遅らせていたのだという。
お陰で、私もTさんのお姿に会うことができた!
Tさん有難う!!会いたいと思ってくれてたのね。それで会えるようにはからってくれたのね!
人を楽しませるところがあったTさんだが、参列者はわずかだった。血のつながりのある参列者は、息子さんただ一人だった。娘さん、お孫さん、元ご夫君、ご兄弟もいるのに。
二度の結婚とも破綻し、ギャンブルにのめりこみ、親御さんから受け継いだ何億という財産をすべて使い果たし、自暴自棄から自殺未遂して、なんとか助かったものの、その後いくつもの施設でも適応できず、山谷のホスピスにいらした方だった。
このホスピスでも、人間関係にトラブルをいくつもおこしていたという。
機転に富んだお話が面白く、人への心遣いも深く、嘘がつけず、ユーモアも美的センスもあり、お料理上手で、私にとってはいいお友達だった。展覧会や庭園めぐり、お買い物などご一緒にお出かけして楽しい思いをさせていただいた。でも気性は激しくてあちこちで人と対立し、意地を張ると子どものように頑固で、また養子として育ったことの満たされなさをひきずっているようだった。
癌の治療の入院中、何度か私が好物をもってお見舞いに行っても、きっと「なぜもっと早く来てくれなかったの。すごく心細かったのよ。」、と言いたかっただろうにそれが言えず、ただ私のことをプイっと無視して、他の患者としか会話をせず、一度もこちらの顔すらみてくれなかった。
それでもくじけずにお見舞いを続ける、ということが、私にはできなかった。なんとなく足が遠のいてしまった。一番重症の時に傍にいられなかった自分の未熟さが、悔やまれてならない。
最期の日々、部屋の鍵を中から閉めて、誰も入れないように籠もった時期もあって、スタッフの方はたいへんだったようだ。
Tさんの書く字はとても変わっていた。小さい字で、横棒はすべて斜め45度くらいに右上がりになり、斜めに跳ね上げる線が多くて、日本語とは思えない凄い癖字。字の癖と、身体の癖、心の癖はみんなつながりあっていて、ものすごい癖字の人は、何か身体、心理に悪癖がある。直すのはとても大変そう。
活元運動で悪い癖をなくしていくことは可能だったと思うのだが。
薦めなかったのはやはり悔やまれる。
お別れに来た息子さんが、力の無い声でいう。
「○○さん(実の母親を名前で呼んでいる)とは10代で別れて、どうして俺らを捨てたんだろうと、いつも思ってたよね。妹なんかいまだに許せないってね。・・・でも血は争えないね。俺も40すぎて離婚して、・・・飛び降り(自殺しようとし)て足を悪くして、気づいたら○○さんとまったく同じ道歩いてるんだよね。俺の人生、何だったんだろう、と思うよね。
そんな○○さんだけど、もしこの人がいなかったら、俺の命もこの世になかったんだろうから。
妹もそういうよね・・・」
カルマの支配がこの息子さんの人生にも感じられる。
でもTさんも肉体から離れるとき、身体の癖から自由になっていったのだろう。
お見舞いをやめてしまった私と、最期に会えるようにしてくれたと思えてならない。
なんてすてきなはからいだろうか。
本当にありがとう。
空蝉や見送る人の少なかり
蝉の殻人遠ざけて旅立てり
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- 2008/07/21
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