西日本新聞記事

[ Post Date ]
2008/12/26
[ Category ]
身体・性・舞踊

『西日本新聞』2008年12月19日(金)朝刊 学芸・芸術部特集記事「ハタチの平成 世事見聞録」に、私が取材でお話したことが載りました。
特集記事のこの回のテーマは「ダイエット 情報に拘束される身体」「レコーディングで防衛?」でした。以下は、私のお話部分です。拙い内容ですが、ご紹介します。

「ダイエットブームは・・・(単一食品ダイエットなど)数々のブームを経て、トレンドは「レコーディング(記録)の時代に入った。」・・・

「近現代人の身体観を研究する平山満紀・江戸川大学(社会学)によると、イデオロギーの変化が個人の身体に影響を与え、現代のヤセ志向が生まれたという。

かつての個人の身体は、富国強兵・大量生産を目標とした近代社会において、国家や企業に奉仕する性格が強く、頑強さが求められた。戦後、機械化・情報化が進展すると最低限の動作で社会活動が営まれるようなり、体は慢性的なカロリー余剰状態にも陥った。

重厚長大から軽薄短小に移行し、身体もリッチで頑強であるより、スレンダーで華奢なものが評価されるようになる。「使われる体」は「見せる体」となり、飽食のなかで「適度な身体を保てる人」は「成功者」として評価されるようになった。「使われる体」を維持するための「栄養補給」として食べるというより、「緩み(癒され)たいがために食べる」(平山准教授)という美食傾向が強まる。

新保守主義的な潮流の中で増えてきた派遣労働に代表されるように、「使われる体」への要請は完全に無くなったわけではないが、大きな流れとしては、現代人の身体は国家や企業に企画化され、鋳型にはめられる傾向は薄れている。

代わって情報による拘束が始まったのではないか。例えば、特定の食品が「○○にいい」とテレビで流れると、翌日にはその商品がスーパーの店頭から消える。人々は何を食べるかを、「おいしそう」というリアルな身体感覚で選ぶのではなく、頭に入れた情報で選ぶようになってきている。しかも、その情報は大量で、身体は常にそうした情報に脅かされ、不安定な状態にある。

平山准教授は「現代人は氾濫する情報のなかで身体感覚を失い、極度の緊張を迫られている」という。レコーディング・ダイエットは、記録することで確かな身体感覚を取り戻し、氾濫情報から自らの体を防衛する行為なのか。老若男女をとらえて離さない今日のダイエット志向の正体は、情報化社会の中で行き場を失った肉体の内なる叫びにも思える。」

記者の方のお蔭で、新聞記事としてはとても詳細に、お話した内容を載せていただけた。
でもいろいろと補足したいこともある。以下は、記事をより理解していただくための補足です。

身体の「緩み」について。
90年代後半、情報化(IT化)時代に入って身体は、絶えざる新種の「緊張」にさらされるようになったと私は見ている。情報量がうなぎ昇りに増え、人は高速度でそれらを大脳処理しなければならなくなった。大脳や、膨大な視覚情報を捉える眼の、緊張は格段に高まったのだ。
それに応じて、身体は自然に「弛緩」(=リラックス、緩み)を求めるようになった。たれパンダなどの「脱力系」キャラクターが流行り、ティータイム以外にも絶えず飲み物を口に運んだり、喫煙するなど、口唇期的欲求の充足に近い形で弛緩しようとする人も増えた。仕事帰りのフットマッサージや、家でのアロマテラピーの人気も上昇している。このどれもが、視覚でない感覚をつかって、大脳、視覚による緊張を緩めるものだ。

でも一部には、「食べる」ことによって弛緩を求めようとする人もいる。現代、多くの過食症の人たちも日本社会にあらわれている(摂食障害は、拒食のめだった90年代とは異なり、2000年代は過食が表に出てきているという。)情報化(IT化)時代の新種の緊張も加わったさまざまな緊張を、緩めるとはかなり工夫が必要なのだが、食べ物をつめこんで弛緩する粗雑な方法が習慣になった人も少なくないのだろう。
ダイエットしようと食べ物を我慢すると、余計に身体の緊張は強まってしまう。それを弛緩させようとして、つねに意識をむけている食べ物につい走ってしまうのは、間違いの多い悪循環である。
私の提唱したい食べ方は、①緩んだ状態で食べられるようにする ②ダイエットしようと食べ物を我慢することをやめる ③緩んだ身体は、食などについても感性がとてもよく働くので、「何を食べるか」「どのくらい食べるか」は、身体の感覚に任せる。「頭で食べる」ではなく「身体で食べる」である。何を食べなくてはいけない、という情報に惑わされない。余っているから、退屈だから、などの理由で食べるのもやめる。

レコーディングダイエットについて。
食べるのを我慢する、特定のものだけを食べるような「頭で食べる」ダイエットと、食べたものを記録するだけの、レコーディングダイエットは根本的に方向が異なると、私はみている。
レコーディングダイエットは、食行動を「する自分」に対する、「見る自分」を作り、見ることにエネルギーをそそいでいくのである。
自分のありのままの姿を「見る」、すなわち自己省察の、人間的成長にとっての意義は非常に大きい。上座部仏教の瞑想も、自分を非常に精妙に見るものだ。自分をかえりみる作業をすることで、アルコール依存症や犯罪などからも、人は驚異的に回復する。
「見る自分」にエネルギーを注ぐことで、「する自分」へのエネルギーはおのずと減る。前後をわきまえず突っ走ってしまうエネルギーは、少なくなる。

身体を緩ませ、身体の声に耳をすませること。
「する自分」に対する、「見る自分」を育てること。
このふたつは、ダイエットにおいても、情報化を生き抜くコツとしても、いろいろな不調和を解消するにも、要点ではないでしょうか。







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2008/12/26
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