江口の遊女

[ Post Date ]
2009/03/10
[ Category ]
舞えや謡えや

能に「江口」という美しい曲がある。
性と聖がひとつである世界。現代人の忘れたこの境涯に、観るものを運んでくれる曲である。

諸国一見の僧が江口(大阪市)を通りかかると、前シテの里の女が、どこからともなく現れて昔語りをする。江口の遊女が、西行法師と和歌をやりとりして西行をいさめる歌を詠んだと、いわくありげに話すと姿を消してしまう。僧が弔っていると、後シテは江口の遊女の姿で現れ、川逍遥の優艶な美しさをあらわす。遊女たちのあまたさざめき歌う、華やいだ川遊びのさまを示し、仏教の理を説いたのち、遊女は普賢菩薩の姿となって、西行への歌の「心留むな」とことばを遺し、白象にのり、光とともに白雲にはこばれて西の空に去っていくのである。

古代、中世には、あるき巫女、遊行女婦など、旅する女性で、聖なる特質をもつとされた人たちがさまざまに存在した。とくに津泊や宿に本拠をおいて遍歴をする、遊女、傀儡、白拍子らは、旅する聖娼である。
遊女らは、「13世紀後半から14世紀を境として、劇的といってもよいほどにその地位を低下させ」(網野善彦『中世の非人と遊女』講談社学術文庫)るのだが、それ以前は、宗教的な存在と尊ばれていた。宿の遊女の長者は、その土地の有力な一族の出身だったり、江口の遊女たちは公的にも把握されて、宮廷行事の「五節の舞」に加わったり。また、後白河をはじめとした、天皇、上皇、高位貴族の子を生んだ江口の遊女も多数いる。元来、巫女と遊女と官女は深い結びつきをもっていた。

性に聖をみんなが感じ取れるとは、古代、中世の人々の身体が、いかに生命力に満ちて感度がよかったかを示すと思う。逆に生命力が減退し、生殖器異常、成育不全などで感度が鈍い身体にとっては、性は淫靡な、陰気な、嫌らしい、歪んだものになる。現代の性の文化に蔓延する性質だ。
聖娼たちが尊ばれた時代に、私は心からあこがれる。

知りたいことも次々にわいてこないだろうかー。宮廷に上った遊女たちは、遊女でありつづけたのだろうか。彼女たちの信心はどうだったのだろう。芸能と好色において、彼女たちはどのような感覚と技能をやしなっていたのだろう。

能「江口」の解釈として、近代人の売春婦への蔑視をそのままもちこみ、「罪深い遊女の救済を主題とする」とか「哀愁のただよう曲」とかいうものがたいへん多い。
しかし、この能の、江口の遊女が西行法師をうわまわる宗教的境地で、彼をいさめる歌を詠むという話自体、彼女の宗教性の高さを描くものだ。また舟遊びの場面は、この世のものならぬ神々しい光景であり、遊女が普賢菩薩の姿となって、白象にのって西の空に去っていく、というキリも、静かで格調高く、天上的な清澄さをたたえる。この作品で描かれた遊女は、罪深さという否定的な契機とは無関係である。マグダラのマリアのような、石を投げられて改悛したという汚れを、まだ帯びていない無垢な輝きがある。

能の「江口」は、素材の古典があって、それをもとに14世紀後半に観阿弥が作り、世阿弥が加筆したといわれ、さらに世阿弥本と現行の定本との間にもかなりの違いがみられる。現行曲にはさまざまな時代の価値観が混在しているようだ。
西国では14世紀には遊女たちは定住をはじめ、京都ではそういう地域が「地獄辻子」などと呼ばれたというから、観阿弥、世阿弥のころ遊女への蔑視はすでになされ、さらに進行中だった。
その中で「江口」は、古代、中世の遊女の、輝きにつつまれた神聖な姿を伝える。
遊女への蔑視、女性への不浄観、「五障三従説」と女人成仏説などが併行して強まる中、観阿弥、世阿弥はそれに違和感を感じたのではないか。近い過去まで居たと伝え聞いた、神々しい遊女の姿を描こうとして、現実はすでに変貌していたからこそ、「普賢菩薩に変化して光とともに白妙の白雲にのって去る」という、幻想的な光景を創造できたのではないか。

ちなみに私は20代のとき、江口のキリの部分の仕舞を、稽古したいと思ったことがあったが、師には軽くあしらわれ、教えていただけなかった。遊女の役であっても若造には舞えない曲で、これまで拝見したほかの方々の舞台も、最低で50代、老人になって初めて舞える曲とされているようだ。性の盛りをすぎてから舞う曲とされているのは、現代人には聖なる性は体現できず、あくまでそれが現実を超えた幻想上のものだからだろうか。

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2009/03/10
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