子どもの日
- [ Post Date ]
- 2009/05/05
- [ Category ]
- 社会
5月5日(火)
子どもが生まれなくなった国の、子どもの日。
澄んだ五月の風が渡るのに、鯉のぼりは滅多に泳いでいない。
鯉のぼりは、精子の象徴ではないかと私は思っている。
激流を、勢いよく泳ぎ遡り、もっとも勢いのよいもの1匹が卵子にたどりつける。鯉のぼりの見られなくなった日本で、精子力もまた急速に衰え、動かない精子や奇形の精子が異様に多い。現在、日本人男性の15%が、精子の活動が基準以下の不妊レベルだという。女性不妊よりも男性不妊のほうが、治りにくくやっかいだ。
また一方、日本の若い男性達は、異性関係に世界一不熱心だといわれるようになった。草食系男子や、アキバ系男子。本当に魅力的な女性達が、日本にはいい男性がいないと嘆き、外国人男性と結婚したりしている。
個体レベルと、精子レベル(この両者がどう関わっているかが、まだわからない)で、生殖能力を取り戻していかなければならないのだろう。
野口晴哉氏は、「女性は生殖用動物だから、女性の思春期は、生殖器の成熟を第一に教育するべきだ。」とかつて述べ、私は長いことそれに賛成できなかった。女性の産む機能は大事だが、女性を産む存在としか見ていないのは、女性の多様な能力の発揮をさまたげる、旧時代的な抑圧だと私には思われた。
でも、パソコンの使いすぎ、頭の使いすぎなどで、現在では多くの女性達が、生殖機能にひどい不調をかかえている。生理痛や愁訴がひどいために、自分が女性であることを喜べない人もいる。不感症の人が子どもを生めたとしても、子そだての深い快感もまた、その身体では得られないだろう。そうしたら次の代の子どもは、どこかしら生きる空虚感をまぬがれないのではないか。・・・野口氏の発言は、極論だと思う面もあるが、賛同せざるをえないとも思う。
それだけでなく今、男性の思春期もまた、生殖器の成熟を主要に考えて教育しなければならない時代になっていると私は考える。腰椎や後頭部への愉氣、脚からの調整などと、リアルな人間関係についての学習や実習を、思春期の男の子たちに大人が適切にほどこしていってはどうか。
運よく赤ん坊が生まれたとしても、いま「生んだ子がかわいくない」という悩みをもってしまう親がしばしばいることも、たいへん気になる。
しかし赤ん坊の、生まれもった輝きに大きな個体差があることは、誰も否定できないだろう。
「すごい、この赤ちゃん!」とみんなが感動するような、ぴかぴかに輝く、力みなぎる赤ちゃんは多いいっぽう、なんだか生彩のない、どよーんとした、悪いけれどかわいいと思いにくい赤ちゃんもいる。
たくさん種を蒔くと、出てきた芽のうち、いきいきと太陽に双葉をひろげているものと、ひねこびて小さくうつむいているものがあるように。
植物で間引きをし、動物や鳥では親が弱い子は餌をやらないで死なせるように、人間でももともとは、どよんとした子は途中で淘汰されていた。
「生んだ子どもがかわいくない」という本音を封じ込めず、言えるようになった時代が背景にあり、親の心身の未成熟もあるし、子育てが孤立化して親が追い詰められていることも大きな原因だ。しかし、動物や鳥や、過去には人間も、育てる気を起こさせない弱い赤ん坊は世話しないで殺していたような感覚に、そういう親は近いのかもしれない。
現代社会において、子どもの淘汰をよしとしないならば、できるだけぴかぴかの生きのいい、可愛くて人を不思議とひきつけ、まわりに喜びを与える子どもを、生むことが大事なのだ。「生んだ子がかわいいと思えない」という親も、本当は、そういう子をこそ育てたいと感じるのではないだろうか。
生まれたときには、子どもの輝きには差がすでにあるのだから、できるだけよい精子とよい卵子をつくり、それらが出会え、できるだけ母体が幸せなよい妊娠期間を送ることは、決定的に大事だ。
さわやかな風に、鯉のぼりたちがぐんぐん群れ泳ぐ光景を夢みつつ、考えた。
- [ Post Date ]
- 2009/05/05
- [ Category ]
- 社会
- [ Trackback ]
- http://www.typepad.com/services/trackback/6a0128758a7294970c0120a688a2f6970b
