『セックスレス亡国論』鹿島茂 (聞き手)斎藤珠里

[ Post Date ]
2009/08/08
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読書ノート

このタイトルのことば、私がかねがね考えてきたことと同じだ。

日本の男女関係のあり方は、いつ、どのように歯車が狂ったのか?
「経済と恋愛の二重の弱者」=「ニート・オナニスト」の大量出現の現状をどう見るか?、変えるとしたらどうしたらいいのか?本書は分析し、提案している。
私としては、見解を共有できるところが少なくない。
鹿島茂氏は、「社交ダンスが日本を救う」と、若者にダンスパーティを復活させようとしているというが、私も大学の授業でサルサの実習をしている。今の日本の状況への憂いも、志も共にでき、たいへん心強い思いだ。
だいたい、多くの日本の研究者たちは、自分の生き方としてセックスレスに距離をとることができず、性をテーマに研究しても、オナニストに居直りながらなのだ。
それでは、日本だけがなぜこんなにセックスレスが多いのかすら、解明できない。そんな中、こういう方の存在はとても貴重!

フランス文学専攻の鹿島氏はヨーロッパ、日本の性愛の歴史を手際よくまとめて語ってくれているが、特にヨーロッパについては、このテーマで日本語で読める文献は意外に少ないので、とても興味深い。

結婚前の処女膜検査と結婚持参金。
アングロサクソン系とラテン系の、植民地現地人との混血への抵抗感の違い(≒肌の色の違う人とセックスすることへの抵抗感の違い)。
プロテスタントとカトリックの、性への見方、性規範、性行動の違い。これも、欧米や中南米各国の社会のさまざまな面の違いを説明できて、とても面白い。
プロテスタントは、自己責任の能力を人間に認め、「婚前交渉はせずに男女がじらしながら交際できる」「結婚した夫婦のセックスは喜びがあってよい」「不倫は大罪」。
カトリックは、人間は弱いという前提にたち、「婚前交渉しないために結婚前の男女は交際しないし、公然のキスもご法度」「結婚した夫婦のセックスは子作りのためだけで、快感はあってはならない」「弱い人間として不倫もありうる」と、対照的。
DUREX社のGLOBAL SURVEYでも表れているが、プロテスタント国のほうがカトリック国より、セックス回数も少なく、セックスの満足度も低く、セックスが刺激的ではない。そういったことの違いの背景がわかってくる。

日本人の性規範、性行動の変遷も、かいつまんで語ってくれて、首肯するところが多い。

『平凡パンチ』『週刊プレイボーイ』が創刊された1960年代半ばから、男性は①恋愛行動に積極的になる②風俗にいく③恋愛もできず結婚まで悶々とする、3極分解したとの説。
1970年代後半、女性雑誌が「モノを持った女が勝ち」という、男女関係に全く視点のむけられていない発想をうちだして影響力をもったため、男女のすれちがいは大きくなるという見方、等々

しかしまた、疑問も浮かび上がってくる。

鹿島氏のいう、「人間は放っておくとセックスレスになる」「人間は面倒くさいことの嫌いな生きものである」「現代社会で資本主義が異常発達したのは、面倒くさいことはしたくないからだ」という論は、いずれも正確には、人間一般、社会一般にあてはまることではなく、「日本人」「日本社会」にほぼ限ったことである。
DUREX社の調査を見ても、他の先進資本主義社会では、セックスレスにはなっていないようだし、恋愛とセックスが面倒くさいと考えられることも殆どないようだからだ。この点の認識が、本書ではまだ断片的で半端である。

問いは、「日本人はなぜ、どのように、セックスレスになったのか」「日本人は、なぜ、どのように、恋愛とセックスを面倒くさいと感じるようになったのか」(「他の国ではたとえポルノが氾濫しても、なぜ、どのように、セックスレスにならないのか」「他の国では、なぜ、どのように、恋愛とセックスを面倒くさいと感じないのか」)ということでなければならないだろう。

「人間は面倒くさいことの嫌いな生き物」だから、「面倒くさいことを代行サービスですませようとして、資本主義が異常発達し」、「面倒くさいことの極北である恋愛とセックスをさけて、オナニーに終始してしまう」と鹿島氏はいう。
しかし多くの日本人が、先進社会では類をみないほど長時間、その代行サービスの労働をし、恋愛やセックスに向けるエネルギーも無くしているのが現状だ。面倒くさいことが嫌いなら、なぜ日本人はこれほど長時間労働ができるのか?
正確に議論するためには、「労働することは、面倒くさく感じない」が、「恋愛やセックスは面倒くさく感じる」、日本人の身体と心の感性を、より腑分けしなければならない。

性交において、男女の快楽を得るベクトルが逆だということを、鹿島氏は「セックスの非対称性の原則」となづけ、「女性はセックスすれば損をする」、「しかし損していることに気づかない」、という議論をしている。これも、そう現実はそう単純ではなく、より精細に、そして実証的に考えたい点である。女性がどのくらいオーガズムを得るかも、社会により、時代によりずいぶん違っている。

私のいだく疑問の多くは、鹿島氏が、社会史的な精密な実証的議論をすべきところで、一般論にすべってしまうところに関わる。これから、社会学、社会史の議論を積み重ねていくべきテーマだろう。
聞き手の斎藤珠里さんの遠慮のないつっこみは、このインタビューを非常に内容豊富なものにしている。私は斎藤さんには、フランスと日本の恋愛とセックスの本格的な比較研究を期待してきた。今も期待しています。

鹿島茂 聞き手・斎藤珠里『セックスレス亡国論』朝日新書 2009年



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