韋駄天にいただいたもの

[ Post Date ]
2009/11/14
[ Category ]
身体・性・舞踊

11月14日(土)

5年前の出来事だが、その意味に気づくところがあったので述べてみたい。

私は夏、ひとつ原稿の締め切りをかかえていた。2ヶ月ほどの期間があったのだが、一生懸命取り組んでも何故か、内容的にあちらでもこちらでも壁にぶつかり、進まない。締め切りが近づいてくると流石に焦ってきた。「書けませんでした」と提出先に言おうか?いやそんなこと絶対言えない。どうしよう?
その夏の終わり、北海道に家族旅行もした。昼は私が車を運転して大自然を楽しむ。でも夜がくるとホテルで原稿に取り組んだ。運転には寝不足はいけないがそんなことは言っていられない。夜ひとり起きてパソコンを開いているが、一向に進まない。締め切りはあと5日、4日、3日と迫ってしまった。

締め切り2日前の明け方、私は夢をみた。
前は覚えていない。突然、目の前に韋駄天さまがヒュッとやってきて、私の左手の掌に何かを乗せてくれる。私はそれをしっかりと握った。韋駄天さまはまた疾風のごとく飛び去っていった。
私はふだん、韋駄天を信仰しているのでもないし、韋駄天について考えたこともなかった。それなのに、夢にでてきた若い姿を、私は韋駄天さまだと知っていた。

起きてみて、何か私に力がみなぎっている。
不思議、原稿がすらすらと書けるのだ。あちこちの滞りは嘘のように解消し、問題だった点は軽々と越えられ、構想ができていく。文章も勢いよく流れ出て、私は奔流に乗るようにして2日間書きに書き、ついに締め切りに間に合った。

韋駄天のごとく、早く書け、と促されたのだと思うが、そのおかげで2ヶ月間苦悶しても書けなかったものが、2日間で書けたとは。
大きな力にあずかれた、本当に有難い経験だった。当時の私はまだ心身が衰弱していたが、自分の未知の底力への信頼も、いだけるようになった。

でもそのあと、疑問も残っていた。
何故、韋駄天さまから何かをいただくときに、夢のなかの私は左手の片手で受け取ったのだろう?神様からものをいただくのは、両手で大事に拝受するのが当然ではないか。ましてや右手でなく左手とは。
そして、韋駄天さまからいただいたものを、私は見もせずににぎってしまったのは何故だったのだろう。そして何をいただいたのだろう。珠?水晶?・・・

その疑問についてここへきて気づいた。
整体では、左の掌は重要なツボとするが、それは「心臓のツボ」「自信のツボ」「自分の力の自覚のツボ」という。心臓が弱い人、自信が無い人、自分の力を見失う人などは、掌が分厚くなって弾力を欠き、そこに愉氣することで弾力が戻り、ひきしまるのだ。
韋駄天さまがくださったのは、この左手への愉氣だったのではないか。だから私は夢の中で、無礼にも片手の左手で受け取ったし、くださった物体を見ようとしなかった。

夢と、身体感覚が、いかに精妙で人知を超えているかに改めて驚く。
それにしても、真にリアルボディに愉氣を受けなくても、夢の中で、脳内イメージにある身体に愉氣を受ければ、心身に大きな効果があるとは。夢と身体、脳内イメージと身体は、異次元をつなぐ不思議な道で、つながっているのだ。


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2009/11/14
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