歳時記でない第九
- [ Post Date ]
- 2009/12/24
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- 日々のこと
12月22日(火)、23日(水) 第九を二日連続で聴く機会に恵まれた。
12月22日はNHK交響楽団、指揮はクルト・マズア(80歳) 於:NHKホール ソプラノ:安藤赴美子、アルト:手嶋真佐子、テノール:福井敏、バス:福島明也 合唱:国立音楽大学 東京少年少女合唱隊
12月23日は新日本フィル、指揮はヤクブ・フルシャ(28歳) 於:Bunkamuraオーチャードホール ソプラノ:天羽明恵、アルト:小山由美、テノール:永田峰雄、バリトン:石野繁生 合唱:栗友会合唱団
この指揮者の年齢差! 第九の解釈や演出の幅から、第九の本質もみえてくる。
クルト・マズアはドイツの巨匠。旧東ドイツの指揮者だったが、20年前のベルリンの壁崩壊に際しては、反政府運動の民衆達に、武力行使せずに平和的行動をするように働きかけ、その功績などから、ドイツ統一後に大統領候補にもなった人物だ。20年という節目に、N響に初登場され、ベルリンの壁崩壊を想起させてくれるとは、なんて有難い機縁が稔ったのだろう。
ベルリンの壁の崩壊は1989年11月9日に始まったが、この歴史的解放を祝うために急遽、第九演奏の準備が進められ、この年のクリスマスに旧西独、旧東独で連続して、バーンスタイン指揮、NYフィルを中心とした、東西のメンバーのジョイントによる第九が演奏されたのだった。バーンスタインは、この歴史的体験を子どもや少年少女に伝えるために、少年少女合唱隊を合唱に加えるという初の演出をおこなった。
そして、クルト・マズアの今回の演出では、少年少女合唱隊の導入が踏襲されていた。(少年少女たちは、澄んだ天上的な響きを効果的に聴かせた。今回のN響第九の、国立音大の合唱の質量の豊かさも本当に感動的だった!)御蔭で、ベルリンの壁崩壊20年という節目を、よく胸に刻むことができた。クルト・マズアの指揮は、ひとつひとつの副旋律も美しくきわだたせ、すみずみまで本当に美しかった。
3楽章の冒頭では、初めての体験でびっくり仰天。2小節ほど弾いたオーケストラを制止し、マズアはもう一度やりなおさせたのだ。N響の、本公演で、演奏やりなおしを命じるとは!!楽団員達の驚愕と緊張がビリビリと伝わってきた。マズアは、自分の志の高さを伝え、喝を入れたかったのだろうか。80歳にしてこの瞬時の判断をするとは。その後の演奏はそれまで以上に引き締まった。このことからも、壁崩壊のただごとではない重みを感じた。
その後、1989年12月のバーンスタインの第九も、私は運よくDVDで視聴できた。バーンスタインはこの時、末期癌に侵され、体力的に殆ど不可能という状態で、東西両舞台にて振り、半年後に亡くなったという。ウクライナ出身の両親をもち、ユダヤ人で、アメリカ育ちという、東西に引き裂かれた人生の、その最後の最後のページで、統一の歓喜を振ることができたのだ。バーンスタインの全身から発せられるよろこび!もう半分天国に足を踏み入れたようだ。この演奏では、歌詞の「Freude(歓喜)」は、シラーの原文にある「Freifeit(自由)」に戻された。「おまえ(=自由)は世のしきたりがつめたく引き裂いたものを、不思議な力でふたたびとけあわせる。おまえのやさしいつばさに懐かれると、すべてのものは同胞になる。」歌詞のこういう言葉のすべてが、圧倒的なリアリティをもって、伝わってきた。
そうか、第九といえば年末の歳時記、と考えるのは、たぶん日本人だけなのだ。他のキリスト教国ならば、クリスマスシーズンにはもっと直接的な宗教音楽を演奏するだろうから、年末に第九の演奏の余地はないと思われる。そして、第九はもっと政治的、社会的主張のこもった曲として受け取られているのだろう。今回のクルト・マズア指揮によって、初めて第九のこの面に触れることができた。
日本での、「歳時記の第九」から一歩出た解釈、演奏が、可能になった演奏だと思う。
今あらためて思う。「おまえは世のしきたりがつめたく引き裂いたものを、不思議な力でふたたびとけあわせる。おまえのやさしいつばさに懐かれると、すべてのものは同胞になる。」この「おまえ」を現在の私たちは、何の代名詞と考えたらよいだろうか?
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