子どもの虐待の問題化
- [ Post Date ]
- 2010/01/09
- [ Category ]
- 社会
1月8日(金)
「社会学」という授業で、1980年代の家庭内暴力と、1990年代の子どもの虐待の話をする。
1980年代には、「家庭内暴力」というと、子どもの親への暴力のみを意味した。実際には、親が子どもに暴力をふるうこともあったし、夫が妻に、また老人に若い人が、など家庭内にはさまざまな暴力の関係の形があったのだが、子どもの親への暴力のみが問題にされた。原因や対処法もさんざん探られたけれど、それらはほとんど役に立たなかった。子どもの親への暴力のおおもとには、幼少時からの親から子への暴力があったり、親から子どもへの期待や価値観の押しつけ、条件付きの愛情の桎梏などが実はあったのだが、80年代の当時は、それは誰も問題視せず、気づかれなかったからだ。
1990年代にはいり、「子どもの虐待」が社会問題になる。親から子どもへの暴力が、初めて問題にされるようになった。虐待という言葉は、この時期にはじめて日本人に周知される。子ども時代に虐待されてトラウマを負った人たちが、大人になってやっと自分の体験を語れるようにもなった。大人はそれまで「しつけ」「折檻」だと正当化してきたが、虐待は子どもにとって非常に傷つくことだと認識されるようになり、虐待を社会で防止するような法律や制度もできた。
社会問題の構成主義というのだが、社会問題は物が実在するように「ある」のではなく、「○○は問題だ」という考え方によって「構成される」のである。子どもの虐待のニュースや記事、児童相談所などへの相談件数などは90年代急増するが、それは、子どもの虐待の実数が急に増えたことは意味しない。
子どもの虐待を問題化し、虐待を防止したり虐待を受けた人をケアするようになったとは、時代の進歩だと考えるのが普通だと思う。子どもが一人の人間として尊重されるようになり、子どもに何が起きているかに周りが敏感になってきたのだから。
しかし、こういう動きを推進してきた人は予想しなかっただろうが、子どもの虐待の問題化は、日本では人々をひどく心理的に委縮させるという効果も、もたらしている。子どもを虐待する親がいるなんて・・・人間って何てひどいのだろう 人間を信じられなくなった。
子どもを虐待するニュースをまた聞いた・・・最近は親子関係も崩壊して来ている どんどん酷い時代になっていく。
子どもを虐待する親に自分はならないだろうか・・・自分も自信がない 子どもなんて怖くて育てられない。
子どもを虐待しそう・・・悪いと知っていても追い詰められるとつい子どもにあたってしまう 子育てしていて苦しい。
今日の学生の感想にもこういう意見がたくさんあった。子どもの虐待が問題化されなかった時代には、こういう気持ちにもならなかった人たちが、この問題に怯え、自信をなくし、自分を責め、時代が悪化していくという心象をいだいてしまう。日本人は子育ての楽園から追放されてしまったかのようだ。
日本人は、とても繊細で感じやすいから、人が傷ついているという問題にふれるとシュンと委縮してしまうのだろう。
バブル崩壊後の日本人の委縮の原因はこういうところにもある。私は、日本人の心身の委縮をなんとかしなくてはと最近とみに思う。
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