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<title>COLUMN :: いまをかんじて　||　平山身体文化研究室</title>
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<title>『女装と日本人』三橋順子著</title>
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<description>女装家であり優秀な歴史家である三橋順子さんが、日本における女装の歴史と、御自身の...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;女装家であり優秀な歴史家である三橋順子さんが、日本における女装の歴史と、御自身の個人史の双方を、綿密な考証、豊富な体験にもとづいて書き上げた、大作。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私が日本のジェンダーやセクシュアリティ、芸能などについて、これまで抱いていた疑問のいくつもが、三橋さんのこの研究のおかげで氷解していった。&lt;br /&gt;「世界中にいわゆる「グレートマザー」の女神信仰があるのに、日本ではそれがはっきりとした形では存在しないのは、なぜだろう？」&lt;br /&gt;「ヨーロッパやアメリカ合衆国では、トップレスなどのエロティックなショーが好まれ、そういうショーを見ながら大人がお酒を楽しむ場所も発達しているのに、日本ではそれがないのはなぜだろう？」&lt;br /&gt;「日本では、ニューハーフショーが意外に一般うけしていて、はとバスツアーにも組み込まれているのにはどういう仕組みがあるのだろう？」&lt;br /&gt;「プロの能楽師に女性がなろうとすると、なぜ、かなり激しい抵抗にあって、排除されがちなのだろう？」&lt;br /&gt;「女歌舞伎、宝塚の男組などは、なぜ衰退しやすかったのだろう？」・・・&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;日本では、建国神話でヤマトタケルが女装をし、弥生時代の女装の巫人の人骨が見つかるなど、古来、女装、そして異性装が絶えることなく尊重されてきた。（性転換の方法は、近代まで異性装しかなかったから）異性装＝トランスジェンダーは、両方の性を越境し、あわせもつ特殊なパワーの源泉とされてきたのだ。三橋さんはこれを「双性原理」と名づける。これまで多くの歴史家がこれを直視することを無意識に排除してきたため、三橋さんの挙げる数多くの歴史的事象は、見逃されてきた。たとえばたくさんの絵巻物に、髪の長い髭をはやした人物、僧侶によりそう花柄の着物の子達などが描かれているのだが、そこにクリアに焦点をあわせた指摘は私は初めて見た。ともかく、異性装文化は、日本では歴史を通じて普通のものであり、日本人のジェンダーやセクシュアリティの重要な一部をつねになしてきたのだとわかる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;歌舞伎は「本来男装と女装を組み合わせた異性装の芸能だったのです。」と言われて腑に落ちた。私の感覚でもどこか、女性が女性を演じ、男性が男性を演じるのは、ストレートで工夫が無く、面白みに欠ける感じがする。異性装をしてこそ、もうひとひねりが加わって妖しい魅力も生まれると理屈ぬきに感じる。それは、阿国の男装を絶賛し、女形に熱い視線をそそいできた、日本人の長い伝統をうけついだ感性なのだと自覚した。&lt;br /&gt;それにしても、江戸時代の人々の異性装好みはすごい。「三美人」などに、純女と女装者が当然のように並んだりする。男性と女装者の結婚もあった。&lt;br /&gt;本書終章にある、「女装文化の普遍性」によると、世界のいたる処にこの文化は成立しているという。西洋近代、イスラム教、儒教、共産主義などの弾圧にさらされながら生き延びてきているらしいが、男女を単純に二分しようとする文化と、男女のトランスに意味を見出す文化が対立してきたということである。前者がより普遍主義的で、政治的パワーをともなうところが、なぜなのかと興味深い。ともかく、日本でも、明治の近代化にともない、性別二元原理が双性原理を法的、医学的、社会的に抑圧していくが、社会の基層では、女装文化は形をかえつつ生き続ける。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;女装世界の現代史とからめて語られる、順子さんの個人史にもまた、多大な興味をひかれた。&lt;br /&gt;私は順子さんと、江戸川大学に講演にお呼びしていらい、交流をさせていただいているが、その明晰な知性と、エンターテイメント力、世の中の思い込みにびくともせず軽がるそれをのりこえる柔軟さと靭さとに、いつも尊敬をいだいてきた。その柔軟さと靭さを、どのように養ってこられたか、ずっと知りたいと思っていた。&lt;br /&gt;隠しだてのない個人史は、たいへんな精神的、社会的苦労を経て、順子さんが誕生したことを語ってくれる。もう限界、というところまでいって、そこで跳躍することで別次元の生に至れた体験だったようだ。そして、その新しい次元の楽しいこと、幸せなこと。彼女の３５歳からの、青春の記録は、読む側も楽しくなってくる。ちりばめられたひとつひとつのエピソードが、順子さんにはどんなにいとおしいものだろう。順子さんは、性的にも随分さばけていると思うが、女としての性を余すところ無く味わい尽くそうという情熱が、そうさせているのだろう。女として性体験をもつことで、順子さんのいのちの炎はどんなに燃え上がってきただろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;順子さんはたいへん幸運な人だ。歴史研究をすればするほど、自分の仲間を過去に見出し、生きる力をもらえただろうし、また、歴史研究の方は女装者による新たな視点を得て、格段と進展しえた。女装と歴史研究とが、運命の力により、順子さんにおいて出会った。その出会いの渦に私たちも身をさらすことで、より柔軟に靭くなれるだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;三橋順子『女装と日本人』講談社現代新書　２００８年

&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>読書ノート</dc:subject>

<dc:creator>平山 満紀</dc:creator>
<dc:date>2008-11-09T01:08:14+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://www.hirayama-body.com/column/2008/11/post-b06d.html">
<title>平成中村座「法界坊」</title>
<link>http://www.hirayama-body.com/column/2008/11/post-b06d.html</link>
<description>１１月６日（木） 浅草に出かけた。 浅草寺本堂の落慶５０年にあたり、数々の目をひ...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;１１月６日（木）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;浅草に出かけた。&lt;br /&gt;浅草寺本堂の落慶５０年にあたり、数々の目をひく催しが工夫され、たいした賑わいだ。&lt;br /&gt;浅草寺の西側には、江戸時代そのままのような町並みが出現し、小物店や御茶屋から、明るい呼び声が絶えない。店屋が口上で品を売っていた、芸能と商売が一体だった時代が甦ったようだ。通行人も着物率が高くて、タイムスリップしたみたい！&lt;br /&gt;浅草寺の「大絵馬展と庭園拝観」の催しを見たが、江戸の職人さんたち合同の粋なオリジナル絵馬、徳川慶喜直筆の画や、勝海舟、山岡鉄舟の書など、貴重な宝がところ狭し。&lt;br /&gt;関東各地の子ども歌舞伎を上演する舞台や、屋外の演芸の舞台、見世物小屋、舞の奉演など、全体がエンターテイメント空間だ。&lt;br /&gt;浅草は、別世界のように、活気ある創造的な街になっている。&lt;br /&gt;まだいらしていない方、１１月いっぱいが浅草大観光祭らしいので、ぜひその間をお薦めします！

&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;平成中村座は、浅草寺本堂の裏手西側に作られている。&lt;br /&gt;ここで見た「法界坊」は、歌舞伎座の定例歌舞伎の、１００倍くらい面白かった。&lt;br /&gt;この芝居小屋は期間限定の仮設舞台だが、江戸時代のものを模していて、玄関で客は履物をぬぎ、座敷の席にあがる。大きすぎない小屋で、舞台がとても近い。会場係の人たちがとても多いが、おそろいの作務衣をきて、ちょっと冗談をとばしながら客を誘導したり、とにかく明るい。会場係も舞台をつくる役者だと自覚しているみたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私たちの席は「桜席」という名で、なんと、舞台に役者が出入りする袖口の真上で、幕が降りたときには幕の内側にはいってしまう！舞台裏がいつもみんな見えるんですよ！！名優たちが、袖の出入りのときには私たちの真下１メートルという近さを通るし、勘三郎さんや橋之助さんなんて、ときには桜席の人たちに、ちょっと目配せをしたり、手を振ってくれたりもするのだ。&lt;br /&gt;物かげにスタンバイして今よと出て行く様子や、役者同士が目で合図している一瞬や、客席からは見えない場所でも役になりきっている役者、大勢の黒子さんたちのはたらきも、手のとどくところに見える。演じる側の緊張感にも一体化するし、観客の面白さも味わえ、舞台の表と裏の全体が見える。この角度は本当によかった～。それでいて、全部のお席で一番安いんです。これからも必ず桜席を予約しそう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;中村座の芸風、とにかく観客を沸かせ楽しませ、うならせるために、ありとあらゆる工夫をこれでもかと尽くす。歌舞伎や演劇の常識を破壊する。ニューヨーク公演では、勘三郎は三分の一の台詞や客いじりも英語でやったとか。絶対に現状に満足しない、狂気の炎のような役者の情熱。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;話がすごい。&lt;br /&gt;法界坊は、破天荒な破戒僧。骨董屋の娘お組に惚れて迫るは、宝物のかけ軸を盗み取って狂喜乱舞するは、いつも周りの者を都合のよいように手玉にとるは。観客は腹をかかえて笑っているが、だんだんその撒き散らす真っ黒な毒を浴びせられ、ちょっとゾーっとしてくるのだ。&lt;br /&gt;法界坊は、自分とお組の結婚に反対する骨董屋をめった斬りにして殺し、手篭めにされるのを拒絶した野分姫も殺害してしまう。それも平然と。この坊主、なにもの？前にも人殺したことあるんじゃない？&lt;br /&gt;大喜利で、野分姫と法界坊の亡霊が、二人で一体の亡霊（双面）となってスイッチを入れ替えるようにそれぞれが出てくるのも、多重人格さながらで気持ちが悪い。&lt;br /&gt;法界坊の本性を顕してからの大暴れも、見ているものがへとへとになるほど破壊的だった。浅草寺の尊像観音菩薩をさしむけても、なかなか弱らない。最後の悪あがきは、大勢の若い衆の立ち回りや、花吹雪の暴風、これでもかと山場がつづく。「土蜘蛛」の白い蜘蛛の糸の黒いものが、法界坊の全身から、いく十筋も噴出して、この毒の塊はついに退治された。&lt;br /&gt;中村勘三郎は、躍動する全身で、人間の底知れぬ残酷さを演じきっていた。表情ひとつひとつにあらわれる過剰な欲、エゴイスティックなお調子のよさ、むらむらとした欲情のほとばしる身体。５０代にして疲れを知らない。完全燃焼し、コロナが見えるような身体だった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;現在にも気持ち悪い犯罪がいろいろ起きる。でも現代人はみんな、その前で萎縮してしまって、人間性の醜さや残酷さに四つに組もうとしない。気持ち悪い犯罪は、今もこういう大コメディにしたらいい。江戸時代にこういう作品が可能だったのは、やっぱり清濁あわせのむ、江戸の人たちのエネルギーの所産だと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>身体・性・舞踊</dc:subject>

<dc:creator>平山 満紀</dc:creator>
<dc:date>2008-11-07T00:24:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://www.hirayama-body.com/column/2008/11/post-cd21.html">
<title>２００８　学園祭展示</title>
<link>http://www.hirayama-body.com/column/2008/11/post-cd21.html</link>
<description>２００８年１１月２日（日）、３日（祝） 江戸川大学学園祭。気持ちのよい秋晴れで、...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;２００８年１１月２日（日）、３日（祝）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;江戸川大学学園祭。気持ちのよい秋晴れで、たくさんのお客さんが大学にいらっしゃった。私たちは今年もゼミ展示をしました。ゼミ生たちは、かいがいしく一生懸命はたらいた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今年は４つのコーナーを作った。&lt;br /&gt;１つめ　「台湾コーナー」　９月に台湾に行った記録（写真、文章、ビデオ、写真のスライドショー、音楽など）と、台湾茶・台湾のお茶菓子をさしあげるコーナー。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;２つめ　「体癖コーナー」　&lt;a href=&quot;http://www.hirayama-body.com/photos/uncategorized/2008/11/05/dsci1167_2.jpg&quot;&gt;&lt;img width=&quot;200&quot; height=&quot;150&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Dsci1167_2&quot; title=&quot;Dsci1167_2&quot; src=&quot;http://www.hirayama-body.com/column/images/2008/11/05/dsci1167_2.jpg&quot; style=&quot;margin: 0px 0px 5px 5px; float: right;&quot; /&gt;&lt;/a&gt;
&lt;br /&gt;野口整体でいう、体格・体質・動作の特徴・性格・行動パターンの１２タイプについての、解説および「チェックシートによる体癖診断」
(右の写真）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;３つめ　「愉氣コーナー」　お客さんにゼミ生が愉氣をしてさしあげる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;４つめ　「滝さん美術館コーナー」　５月にこの欄に登場いただいた、ゼミと交流のある９２歳の滝貞夫さんの絵画の展示。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;２日間で３００人くらいのお客さんが見えたのではないかしら。ご来場くださった方々、どうも有り難うございました。懐かしい方々とお会いでき、感動でいっぱいでした。&lt;br /&gt;特に、「台湾コーナー」であたたかい台湾茶をおだししたことと、「愉氣コーナー」であちこちの不調を癒してさしあげるのは、大好評。「平山整体院」というポスターをみて、この部屋をめざしてこられた方たちも多かった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;お客さんがたには申し訳なかったですが、ゼミ生たちは、正直いってまだ愉氣の感覚が不確かなまま、この「平山整体院」をはじめたのだった。でも、２日間のうちに、たくさんの経験をつんで、かなり上達したみたい。私もずっとつきそって、ゼミ生たちに手ほどきをした。学外から、&lt;a href=&quot;http://www.hirayama-body.com/photos/uncategorized/2008/11/06/2008.jpg&quot;&gt;&lt;img width=&quot;240&quot; height=&quot;159&quot; border=&quot;0&quot; src=&quot;http://www.hirayama-body.com/column/images/2008/11/06/2008.jpg&quot; title=&quot;2008&quot; alt=&quot;2008&quot; style=&quot;margin: 0px 5px 5px 0px; float: left;&quot; /&gt;&lt;/a&gt;



遠隔愉氣の注文もきたのだが、忙しくてやれなかった。ごめんね。&lt;br /&gt;一時はアメフト部の学生達が１０人以上、どやどやとやってきて、「明日試合なんです。僕は腰が痛い」「僕は膝が悪い」とか皆が言い始めるので、自分達で愉氣しあえるように、やりかたを教えた一こまも。足を調整してあげると、「すげえ！ぜんぜん違う、足が軽い！」と感動してました。&lt;br /&gt;ほかの方の感想も、「久しぶりに両足がしっかり地面につきました。その感触が不思議かつ感激です。痛かったけど、気持ちよかったです。」「首の奥のほうが暖かくなって、かなりらくになりました。リラックスしすぎて眠くなってしまうくらいに心地よかったです。」「身体が軽くなりました。」等々、なかなかでした。&lt;br /&gt;流山市の井崎市長さんもいらっしゃって、私の愉氣を、&lt;a href=&quot;http://www.hirayama-body.com/photos/uncategorized/2008/11/05/dsci1171.jpg&quot;&gt;&lt;img width=&quot;160&quot; height=&quot;120&quot; border=&quot;0&quot; alt=&quot;Dsci1171&quot; title=&quot;Dsci1171&quot; src=&quot;http://www.hirayama-body.com/column/images/2008/11/05/dsci1171.jpg&quot; style=&quot;margin: 0px 0px 5px 5px; float: right;&quot; /&gt;&lt;/a&gt;
とてもとても喜んでくださった。激務にもかかわらずエネルギーのある、いいお身体でした。私が「こういう活動が広まれば医療費も削減できますね。」と申し上げると、「人間関係もよくなっていいですね。」とおっしゃった。社会に広めたいと改めて思った。ゼミ生のみんな、そしてこの場で体験したみなさん、次はみなさんから広めていってくださいね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;滝さんがご家族といらっしゃり、ご自身の作品のコーナーに喜びいっぱいの表情だった。&lt;br /&gt;滝さんは、旧制一校時代の寮祭を思い出して話してくださった。寮祭の展示には戦争反対のメッセージが溢れたそうだ。治安維持法下、憲兵が逮捕に動こうとするが、学長が大学自治を盾にそれに抵抗したそうだ。学園祭展示ひとつが、命がけの時代だったと知った。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;夜はまた、卒業生、ゼミ生で打ち上げ。卒業生が立派に活躍してくれているのが、何よりうれしい。卒業生が、現役のゼミ生と熱心に語り合い、いいアドバイスもしてくれている。私は自分が畑になったような気持ちだった。私の栄養を吸って豊かな作物が実ってくれて、しあわせ。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日々のこと</dc:subject>

<dc:creator>平山 満紀</dc:creator>
<dc:date>2008-11-04T23:06:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://www.hirayama-body.com/column/2008/11/post-1981.html">
<title>日経新聞補足　若者の身体の変化</title>
<link>http://www.hirayama-body.com/column/2008/11/post-1981.html</link>
<description>２００８年１１月２日（日） 日経新聞朝刊第一面　特集「世界この先　序章　壊れゆく...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;２００８年１１月２日（日）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;日経新聞朝刊第一面　特集「世界この先　序章　壊れゆく常識５」冒頭に、私のお話を載せていただきました。&lt;br /&gt;　「身体論の専門家である江戸川大学准教授の平山満紀は戸惑っていた。キャンパスで見かける男子学生の体はどこかおかしい。腰の発達が悪く、十分に湾曲していない。そのせいか足の裏がしっかりと地につかない。「人類の進化なのか。それとも危機なのか」」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;経済紙の一面記事という場所なので、身体論についての記述にはごくスペースは限られ、とても簡略化して書いていただいた。&lt;br /&gt;わかりにくい点もあるかと思うので、ここに補足をしたい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私にはアキバ系の人たちの身体が、ずっと気になっていた。&lt;br /&gt;キャンパスでも見かけるし、もちろん学外でもいたるところで見かける、独特の身体。&lt;br /&gt;ファッションへの気遣いのなさや、眼鏡、リュックなどの独特の格好、人の目を見ないなどの身体コミュニケーションの欠落なども特徴ではあるが、それらを全部とりはらってみても、身体自体が非アキバ系とは違うような気がしていた。&lt;br /&gt;それは具体的には、どういう特徴なのか。&lt;br /&gt;また、そういう人に対して、自分は何ができるのか。そういう人がたとえば私のゼミやクラスの学生になったとき、私はどう進む方向を示せばよいのか。そもそもそういう身体は変えるべきなのか、それとも一種の時代への適応なので、進化の一種と言っては絶対にいけないのか？（人類史でも、ネアンデルタール人とかクロマニョン人などのような新種が現れてきたわけだが、そういう現象のひとつなのか、とまで一応考えてみた。）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;また、ゼミの学生達も私のその関心に共鳴してくれて、２００５年のゼミ共同研究は「アキバ系の身体」とし、江戸川大学のキャンパス内で、アキバ系学生の身体や行動の観察をしたり、インタビューを申し込んだりしたのだった。夏コミックマーケットにでかけ、３０万人といわれるアキバ系最大の祝祭での観察もしてきた。この時の「アキバ系」の定義は、「アニメや電子ゲームを非常に愛好する男性」とした。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;その後整体の見方も取り入れ、「アキバ系の身体」の特徴をつかんできた。それは、&lt;br /&gt;・身体全体がしまりがなく、ぷよっとしている。&lt;br /&gt;・足腰に力がない。しっかり地面を踏みしめていない。&lt;br /&gt;・背骨のS字湾曲の、腰の部分が十分形成されていない。大人の腰は、５つの腰椎のうち、腰椎３番が一番内にはいる形でカーブを描くのだが、腰椎３番がしっかり入っておらず、子どもの腰に近い。外見的には「腰高」に見える。&lt;br /&gt;・顔がどことなく子どもっぽく、精悍さに欠ける。&lt;br /&gt;・顔に個性がなく、どの人も同じような印象。&lt;br /&gt;・以上のことから、全体に幼児体型。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;というようなものだ。特に腰椎の特徴は重要だと思える。５つの腰椎は、性についてはそれぞれ次のような機能があると整体では見ている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;腰椎１番・・・性的なことを考える機能　&lt;br /&gt;腰椎２番・・・性的な行動をとろうと考える機能　&lt;br /&gt;腰椎３番・・・性的な行動をする機能（異性と話すなどから、性行為まで含めて）　&lt;br /&gt;腰椎４番・・・生殖器を働かせる機能　&lt;br /&gt;腰椎５番・・・性的な考え、行動、生殖器をつかうことすべてから快感をえる機能&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;たとえば老いると、性的なことを全く考えなくなる人もいるし、性的なことは考えられるが行動ができなくなる人もいるのだが、その違いは、どの腰椎の機能が衰えるかで生じるのだ。「感じない男」の方は、腰椎５番の機能が悪いということなのでした。ご当人に教えてさしあげたいです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;さて、アキバ系の腰椎が十分湾曲していなくて子どもに近いことは、腰椎３、４、５番の機能が未発達ということである。これが未発達だから、彼らはアニメ、ゲームの世界に留まりつづける。私の接する学生でも、腰がしっかりできている人達は、たとえ一時アニメ、ゲームに寝食を忘れて没頭する時期があっても、じきに飽きて現実の女性とデートをはじめたりする。腰ができたいない人は、３次元に戻りにくい。身体により関心や行動が規定されているのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;では、腰椎の未発達の原因はなにか？それは思春期の過ごし方にあるのではないか。やはり発育とは、心身を使えばそれに相当する腰椎が発達し、腰椎が発達すればそのつかさどる心身の機能は高まるというように、相互的になされるといえる。アキバ系となった人たちは思春期には、「あの女の子に声をかけたいな。」などと考えたり（腰椎２番）、学校から一緒に帰ったり（腰椎３番）・・・など、現実の性的な行動を考えたり実行したり、せずに過ごしてきたのではないか。この点などは、これから実証的に調べたいと思っている。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;成人になっても腰椎が未発達なのは、もう変えられないのか？&lt;br /&gt;そんなことはない。３０代、４０代になると難しいが、２０代ならばまだ身体は変化するだろう。腰椎に愉氣することで腰椎３番に力がはいるように育てることは可能だ。また、足もしっかり大地を踏みしめられるよう、愉氣で育てることができる。これは福音のはずだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ところが、現実には私のまわりのアキバ系学生たちは、彼らのほうから私を避け、ゼミなどにも応募してくれない。触れられたくない問題なのかなあ？私の問題提起のしかたが悪いのかなあ？&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;ゼミ生のひとりに言われてしまった。&lt;br /&gt;「先生が男の学生の腰を、いつもいやらしい目つきで見てるって、全国紙で日本中にばれちゃいましたね。」いえ、そんな目つきしてないですよ！&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>身体・性・舞踊</dc:subject>

<dc:creator>平山 満紀</dc:creator>
<dc:date>2008-11-03T01:23:44+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://www.hirayama-body.com/column/2008/10/post-1672.html">
<title>癌封じ</title>
<link>http://www.hirayama-body.com/column/2008/10/post-1672.html</link>
<description>１０月２８日（火） 身近な人に癌が見つかってしまった。 今日午後、小岩の江戸川不...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;１０月２８日（火）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;身近な人に癌が見つかってしまった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今日午後、小岩の江戸川不動尊に祈願にでかけた。「癌封じの不動尊」である。&lt;br /&gt;ここに祈願をするのはこれで二度目になる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;数年前も、別の大切な人に癌が見つかったとき、ここに初めてお参りに来た。&lt;br /&gt;そして、信じられないような、霊験をいただいたのだ。&lt;br /&gt;そのときのこと。癌封じの護摩を焚いていただくよう、その人のお名前や住所などを書いて、私は申し込みをした。庵主さまは「では明日の朝６時のおつとめで、護摩を焚きましょう。」と言われた。&lt;br /&gt;帰宅した私は、自宅療養中だったその方に翌朝の護摩のことをお電話で伝えようとしたが、家族ともに休まれたあとだった。そのため、当の病人は、護摩のことを全く知らずに、その時刻を迎えたのだった。&lt;br /&gt;そして、その朝６時。&lt;br /&gt;その方の表現では、「宇宙から大きな光がきて、私の身体にはいった。」&lt;br /&gt;そして俄然、力がわいてきたのだという。&lt;br /&gt;それまでは、自分でスプーンを持つこともできず、わずかの食事を口まで運んでもらっていたその方が、ベッドの上に上半身を起こし、自分で食事をしたり、回りの人と会話をする元気もでてきたのだ。&lt;br /&gt;そのおかげで、親しい人たちと、話をかわす充実したときを持つことができた。&lt;br /&gt;残念ながら、その「なかよしタイム」は一週間ほどのことで、そのあと再悪化したのだが、一時的にせよ、癌が封じられたのは疑いない。発見されたときが末期だったので、癌封じが一時的なものだったのは、仕方が無かったかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;後日私は、江戸川不動尊にそのお礼参りに行ったのだが、そのときのことも印象深い。&lt;br /&gt;「おかげさまで、お護摩を焚いていただいたと同じ時刻に、光が身体にはいったそうで・・」と私がご報告すると、すがすがしい気品の庵主さまは「まあそうですか。それはよかったですね。」と、ごく普通に答えられた。ちっとも驚きもなさらなかった。こういう不思議な霊験は、ここでは珍しくないのだろう。&lt;br /&gt;御礼の奉納の数の多さからもそれはうかがえる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;整体でも「遠隔愉氣」をおこなっている。&lt;br /&gt;それに、私が今メールのやりとりで、貴重なご指導をいただいているタイのお坊様とも、相互の状況の本質的な把握は、夢や直感の形で、距離を越えて瞬時におこなえてしまっている。&lt;br /&gt;生命のある次元は、空間的距離をまったく超えているということではないか。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;祈りの力の大きさも改めて感じる。&lt;br /&gt;祈りにもさまざまな方向性がある。「私の願いをかなえてください」、「神のみこころのままに」このふたつは全く別の方向をむいている・・・&lt;br /&gt;しかし、願いをかなえる祈りの力は現に存在する。アメリカの研究で、病人の回復を人が祈ると治癒率があがるというものを見たことがある。病気の平癒もふくめ、祈ることで実現する現実はあるのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;さてこの日、江戸川不動尊のお参りのあと、癌が見つかった方のもとに行き、お守りを届け、愉氣をしてきた。&lt;br /&gt;患部から私の手に伝わる不快な振動は、愉氣をしていると存外にすぐに弱まっていった。これなら大丈夫、封じられる。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日々のこと</dc:subject>

<dc:creator>平山 満紀</dc:creator>
<dc:date>2008-10-28T22:04:01+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://www.hirayama-body.com/column/2008/10/post-9761.html">
<title>名残の茶事</title>
<link>http://www.hirayama-body.com/column/2008/10/post-9761.html</link>
<description>１０月２６日（日） 秋深まるこの日、名残の茶事の亭主をさせていただいた。 場所は...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;１０月２６日（日）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;秋深まるこの日、名残の茶事の亭主をさせていただいた。&lt;br /&gt;場所はお茶の先生のお茶室。&lt;br /&gt;私のお茶の先生は、茶道の本質はお茶事にあるとおっしゃる。しばしばお茶事をもよおされ、ご自分は、実際にはお道具選びからお懐石料理まで全部してくださりながら、表向きは半東（お手伝い）というお立場をとられ、弟子に亭主役をさせてくださる。その懐の深さよ。&lt;br /&gt;お茶の新年は１１月で、炉開きをし、その年の新茶をはじめていただく。それに先立ついま１０月は、親しんできた風炉釜と、前年のお茶とに名残りを惜しむ季節で、侘びた風情を味わうのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私も御懐石やお道具の準備などにはたらきながら、五人のお客さまをお待ちした。&lt;br /&gt;お正客の和尚様がまずいらっしゃった。すばらしい書家でもある方。それから次々お客様が到着される。この日のお客様は、長年お茶杓を作られてきた方、陶芸家、革工芸の作家、鍼灸で一流を築かれた先生、と、みなさま高い志をもって道を探求されてきた方々の勢ぞろいだった。&lt;/p&gt;



&lt;p&gt;うてば響く感性と、幅広い文化への造詣。ひとつの話題が、御懐石のあいだにも、面白いように展開していく。阿波の文楽のお話、能の面、加藤唐九郎の茶碗のあじわい、高取、唐津、膳所焼などなど窯元のいろいろのお話。&lt;br /&gt;こんなに豊かな精神の遊びを知れて、私は幸せだと思った。６０代から８０代のお客様がたが、いろいろな文化の領域での、出会いの驚きや感動を子どものように夢中で語られている。ひとつの領域での感動が、ほかでの感動を連鎖的に思いださせる。&lt;br /&gt;お道具拝見で焼き物をめでながら、陶芸家の方が楽しそうにおっしゃる。「うっとりするような壺を作ろうとするとき、女性のお尻をいやというほど撫でて手で覚えるんだよね。それで壺を作ろうとするんだけど、手で覚えたとおりに土を撫で上げると、重みで垂れてきてね。」一同は大笑い。それから、美女のようにスタイルのいい茶杓のお話に。そしてまた、観世左近の能の「羽衣」が、幅のある御身体でありながら軽々した天女に見えた不思議さのお話にも。&lt;br /&gt;コラボの即興演奏。なんと奥深い一座建立だったことだろう！&lt;br /&gt;こういう出会いの響きあいは、お茶の社会でもそうそうあるものではないらしい。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;遊びをせんとや生まれけん。&lt;br /&gt;一生懸命に勉強して到達するよりも、もっと楽しくひろびろと充実した世界に、ほんとうの遊びは到達できるのだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私は、先週、お茶名をいただいたばかりなのだった。&lt;br /&gt;お名前はいただいたが、それこそ名ばかりで、実質を作るのはこれからだと痛感している。いまようやく、お茶の世界のひととおりをざっと案内いただき、お茶の門口に立って、これから入ろうとするところだと思える。&lt;br /&gt;お茶名をいただいたとは、これから自分のお茶を作っていくことだと、先生はいわれる。お茶の世界での自分の価値観とスタイルを、時間をかけて確立させていくのだ。&lt;br /&gt;私は、出会いの即興演奏をこそ、大事にしていきたい。&lt;br /&gt;出会いに遊ぶことほど、奥深い喜びはないと思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&amp;nbsp;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;今日の会記を記しておきます&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;１０月２６日（日）午後３時　処：悠庵&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;茶会名称　名残　夕さりの茶事&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;寄付　床　「明月松間照清泉石上流」仲埜書（中国の書家の方）&lt;br /&gt;　　　　香合　輪島塗月に薄&lt;br /&gt;　　　　汲出茶碗　萩焼　十二世坂高麗左衛門作&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;懐石　飯　汁：粟麩・辛子　向付：焼き松茸・水菜・かぼす　焼物：秋鮭　　　　&lt;br /&gt;　　　　椀：湯葉・春菊・柚子　煮物：湯葉・蓮根・里芋　進め鉢：春菊・えのき茸・菊　　&lt;br /&gt;　　　　吸い物：松実・金松梅　　八寸：牛蒡・サーモン　香の物　&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;本席濃茶　床　「天無門地無戸」大徳寺福富以清老師書&lt;br /&gt;　　　　花　季のもの&lt;br /&gt;　　　　風炉　信楽&lt;br /&gt;　　　　風炉先　杉木&lt;br /&gt;　　　　釜　　雲竜釜&lt;br /&gt;　　　　水指　高取焼&lt;br /&gt;　　　　茶器　膳所焼　岩崎新定作　耳付勢高茶入　　袋　大阪蜀江文&lt;br /&gt;　　　　茶碗　萩焼　　　替　佐渡焼&lt;br /&gt;　　　　茶杓　加茂田竹泉作　銘「桂姫」&lt;br /&gt;　　　　建水　曲&lt;br /&gt;　　　　茶　　奥昔　上林&lt;br /&gt;　　　　菓子　栗きんとん&lt;br /&gt;　　　　器　　杉&lt;br /&gt;薄茶　&lt;br /&gt;　　　　棗　　月に薄鈴虫文様　金輪寺棗&lt;br /&gt;　　　　茶碗　笠間焼　　替　京焼秋草文平茶碗　　&lt;br /&gt;　　　　茶杓　加茂田竹泉作　銘「月影」　&lt;br /&gt;　　　　菓子　麩の焼き　吹き寄せ干菓子&lt;br /&gt;　　　　茶　　青松の寿　青松園　　&lt;br /&gt;　　　　器　　杉　　　　　&lt;/p&gt;　　　　</content:encoded>


<dc:subject>舞えや謡えや</dc:subject>

<dc:creator>平山 満紀</dc:creator>
<dc:date>2008-10-26T23:03:10+09:00</dc:date>
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<item rdf:about="http://www.hirayama-body.com/column/2008/10/post-d115.html">
<title>チーズパーティ</title>
<link>http://www.hirayama-body.com/column/2008/10/post-d115.html</link>
<description>１０月２５日（土） 整体の先生のお宅で、チーズパーティをさせていただいた。 私は...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;１０月２５日（土）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;整体の先生のお宅で、チーズパーティをさせていただいた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私はチーズに魂をつかまれ、チーズを大事な主食としている。一年のうちに、私がチーズをいただかない日はほんの数日ではないだろうか。首都圏のナチュラルチーズやさんのマップはしっかり頭にはいっていて、近くに来たら立ち寄っているので、たいていどこでも顔見知りのスタッフがいる。チーズやさんのスタッフと、チーズ話をするととまらない。&lt;br /&gt;このごとく執心しているので、「チーズバーティをひらいて」と頼まれると、種々のチーズなどを持参してどこへでも出かけてしまうのです。この日は、チーズフォンデュ鍋ももって行きました。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;整体の先生ほか、集まられた方々は、本当にナチュラルチーズを楽しんでくださった。&lt;br /&gt;私が持参したのは、白カビチーズで初心者向け「サンタンドレ」、まったりと舌にからみつく青カビチーズの「ブルー・ドーベルニュ」、スイスの山のチーズ「グリュイエール・ド・サヴォア」、フランスの山羊のチーズ「クロタン」、オーストラリア産の「チェダ－」・・・。これらをクラッカーと一緒にいただいてから、この日のハイライト、チーズフォンデュのお鍋をお出しする。グリュイエール、エメンタール、チェダー三者の組み合わせは、酸味と甘みと塩味とコクの絶妙なバランスがとれて本当にすばらしかった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それにしても、異国の土地に根ざしたナチュラルチーズをいただきながら、その地への空想を羽ばたかせることは、本当に楽しかった。&lt;br /&gt;この整体の先生は、本質を直感的につかみとる空想の、たぐいなき名手なのだ。&lt;br /&gt;山羊のクロタンをめしあがりながら、目をつぶり、&lt;br /&gt;「う～ん、このチーズにはなんだか、山の斜面を感じるねえー。岩があって斜面があって、・・・草地も続いていて、峡谷があるような、ねー。」こういうことを、全然知識なしに、直感だけでおっしゃるのだ。確かに、山羊は、牛の歩けないような山の斜面を上り下りする。そして、斜面のきつい土地では、牛の乳より、山羊の乳をとろうと、人は山羊を飼うのだ。それにしても、山羊のチーズの一片を味わいながら、その出自を空想だけで言い当ててしまわれるなんて、すばらしい直観力と精神の飛翔力！&lt;br /&gt;それから、アルプスの少女ハイジにおじいさんが振舞ってくれたチーズ、広大なオーストラリア草原のチーズ、恋愛大国フランスの官能的なチーズ・・・私たちの空想も、空をかけめぐった。チーズを口にしながら私たちは、赤ちゃんをよろこばせるミルクの凝固であり、大人をよろこばせる性と生殖のエキスに、心と身体をとろけさせた。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;フードマイル（遠くから食べ物をはこぶと、それだけマイルがかかり、多大なエネルギー消費をしている）という発想もあるし、地産地消が大事といわれる。ところが私のチーズ狂いは、それにまったく反してしまう。身土不二にも程遠い・・・。&lt;br /&gt;このことに問題を抱いたことも私はあった。でもチーズを身体が求めるのだから、仕方が無いかなあ。&lt;br /&gt;日本の風土にはないナチュラルチーズは、私の不可欠の栄養なのだ。日本食のような淡白な食べ物だけでは、私の官能の魂は養えないということかしらーー？&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私が、チーズの悦楽に目が無いために、私のチーズ話をきくとチーズのよさが本当にわかると先生は言ってくださった。&lt;br /&gt;そして、何事も、ものごとを教える教師は、それにぞっこん入れ込んで、その面白さにとりつかれていることが第一だという。義務だけで、きまった内容を教える教師に教わっても、学生はちっとも面白くない。教師は自身が最大の学生であるべきで、面白さに夢中になりながら、学び探求をつづけるべきだという。&lt;br /&gt;私も、チーズだけではなくて、自分の教師としての生活のすべての面で、そうありたいものです。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日々のこと</dc:subject>

<dc:creator>平山 満紀</dc:creator>
<dc:date>2008-10-25T00:27:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://www.hirayama-body.com/column/2008/10/post-aee4.html">
<title>時代の悲観</title>
<link>http://www.hirayama-body.com/column/2008/10/post-aee4.html</link>
<description>１０月１６日（木） 「社会学」の授業で、子どもの虐待の話をする。 日本では１９９...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;１０月１６日（木）&lt;br /&gt;「社会学」の授業で、子どもの虐待の話をする。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;日本では１９９５年ころから、子どもの虐待への社会的関心が急速に高まった。&lt;br /&gt;この年の初めの阪神淡路大震災という、生きる基本的な安心感を瓦解させる出来事のあと、日本人の多くは「トラウマ」という専門用語を覚えたのだった。&lt;br /&gt;そしてその同じ年、齋藤学さんの「アダルトチルドレンと家族」という本がベストセラーになって、日本人は誰も彼も「自分もアダルトチルドレンではないか？」と自省する数年を送ったのだった。「アダルトチルドレン」とは「育った家庭でトラウマを負ったまま大人になった人」という意味だ。トラウマという概念を覚えたばかりの日本人に、家庭内でもトラウマを負うことがあるのか、それがあとあとまで尾をひくことがあるのか！というのは、重要な発見だった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それ以来２０００年代にかけて、子どもへの虐待はますます関心をよぶ。&lt;br /&gt;しかし、そのことと、子どもへの虐待が増えたことはまったく別の次元だ。&lt;br /&gt;歴史的にみると、今で言う子どもへの虐待は世にみちみちていた。育てられない子どもは殺すのが普通だし、里子として半ば遺棄したり、人買いに売ったりもあり、病気にでもなると貧しい家ではわざわざ薬など買わないで見殺しにすることも少なくなかっただろう。子どもへの体罰は普通だし。親の権力は強かったし。&lt;br /&gt;今ほど子どもへの虐待ができなくなっている時代は歴史上初めてだろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;しかし、世間の人たちは違う認識をもっている。&lt;br /&gt;児童相談所への相談件数が増えていることを証拠に、虐待は増えていると見る人は多い。&lt;br /&gt;虐待のニュースを見聞きして、昔はこんな事件はなかったのに、今は虐待が増えてなんという時代だろう、と嘆く。&lt;br /&gt;その認識のために、「こんな時代に子どもを生むのは可哀想」「自分も子どもをもったら虐待しそうで怖くて、子どもをもつ気になれない」などという若い人たちの声もしばしば耳にする。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;私は、まったく逆の認識をもっているし、それが事実認識として正しいと考えている。&lt;br /&gt;子どもが殺されてすら、社会が問題にしなかった時代より、ちょっとくらいの虐待でも社会が問題にしている時代は、より人間的な時代で、よりよくなったと言えるだろう。そうしたら、&lt;br /&gt;「こんな時代に子どもが生めてうれしい」「ちょっとくらいの虐待でも問題にされる時代に子どもをもてるのはよかった」と思って、安心して子どもを産み育てたらいいと思うのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;社会学の授業ではこのように話した。&lt;br /&gt;しかし、この日、不注意な学生、遅刻した学生を中心に、授業の感想を書く小さい用紙には「虐待がふえつづけている」というコメントをした人がそれでも多かった。&lt;br /&gt;「虐待が増え続けている」という、過去からのパターン化した思考が、何か、かえって思考の安定感をもたらしているかのようにも見える。&lt;br /&gt;「虐待は増えていないんですよ。」というと、そういう人は逆に、何か説明できない不安感にとらわれるようだ。&lt;br /&gt;漠然と身体に不安感をかかえている現代日本人。その不安感は「子どもの虐待が増えている」などの言説で説明できると、逆に安心感をもたらすのかもしれない。「子どもの虐待は増えていないんですよ。」というと、身体的な不安感を説明してくれる言説を失い、人はいっそう不安にとらわれてしまう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;日本人は不安感にとらわれやすく、不安から自分で立ち直っていく力が弱いのかもしれない。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;&amp;nbsp;&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;身体からアプローチして、現代日本の人々の、身体的不安感を取り除いていけたらいいと思う。また、身体的な不安感を、よりよく説明し、のりこえる言説をうみだし、今の日本人にひろめていくことも大事だろう。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「子どもへの虐待」&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>社会</dc:subject>

<dc:creator>平山 満紀</dc:creator>
<dc:date>2008-10-18T22:31:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://www.hirayama-body.com/column/2008/09/post-9978.html">
<title>台湾旅行の夜</title>
<link>http://www.hirayama-body.com/column/2008/09/post-9978.html</link>
<description>９月１８日（金） ３年ゼミ生１１人と私での、台湾旅行４泊５日の最終夜。 お酒を買...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;９月１８日（金）&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;３年ゼミ生１１人と私での、台湾旅行４泊５日の最終夜。&lt;br /&gt;お酒を買い込んで、ひと部屋に集まって打ち上げをした。&lt;br /&gt;ここまで、さまざまなカルチャーショックを経験しながらも、柔軟に適応して、元気で無事に旅行を終えられそうなのは、本当に何よりでした！！&lt;br /&gt;この打ち上げの前、２グループに分かれて夕食などを楽しんできたが、１グループは「青蛙のスープ」（青黒くて、丸ごと形があって、すごいグロテスクなんですよ）をみんなで食べたり、台湾人におごってもらってビールなどで宴会をしてきたという。もうひとグループは、若者の街西門で美容院にはいって、ヘアカットを経験してきた。この意欲的な体験に本当に拍手したい！やったね～！&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そんなで盛り上がった宴会。はじめは「ウインクキラー」のゲームに夢中になった。&lt;br /&gt;それから「暴露話をしよう」ということになり、これまで遠慮して言わなかった話を、何人もが口にする。それで騒然としたりするが、結局そんな話もOKになり、より本音で話せるようになっていく。&lt;br /&gt;そのとき、Ko君が発言。酔った表情で、声もすごみがあった。&lt;br /&gt;「ぶっちゃけ。俺、このなかに、すげえ、むかつく奴がいる。二人いる。&lt;br /&gt;旅行中も、そいつらのお陰で、ほんと不愉快で、気分悪くて、途中でホテルに帰ろうと思ったのも、そいつらのせいだ。」&lt;br /&gt;一瞬にして、その場の空気は凍り付いてしまった。&lt;br /&gt;私はあわててとりなした。&lt;br /&gt;「Ko君、酔ってるでしょ？酔って荒れてる？もう、十分わかったから、それ以上はいいんじゃない？」&lt;br /&gt;Ko君は聞いてくれないで、さらに続けた。&lt;br /&gt;「いやいや・・・、このさい、ぶっちゃけ言いたいから、そいつら、立ってくれる？そいつらの名前いうから。」&lt;br /&gt;そして男の子１人、女の子１人の名前を言った。&lt;br /&gt;不振そうにその男の子は立ち、女の子もおびえながら立つ。&lt;br /&gt;私も焦ってきた。この場を何とかおさめなくては。&lt;br /&gt;「そんな、立たせるのはちょっとやりすぎよ。このくらいでもういいじゃない。ね」&lt;br /&gt;Ko君は耳をかさず、勢い込んで続けてしまう&lt;br /&gt;「おまえらなあー！！」&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;そこに、驚いた、直前に部屋を抜け出して外に出ていたKa君が、ドアを開けて入ってきたのだ。&lt;br /&gt;大きなバースデーケーキにろうそくをともして！&lt;br /&gt;その立たされていた男の子と女の子に「誕生日おめでとう！ちょっと早いけど。」&lt;br /&gt;みんなの歓声。一気に空気が変わる。&lt;br /&gt;なんだ、これみんなサプライズだったの！&lt;br /&gt;立たされていた二人は、もうじき誕生日を迎えるのだという。&lt;br /&gt;すごい演技と演出！みんなが完璧にだまされていた。&lt;br /&gt;こうやって誕生日を祝ってもらうとは、なんて素敵なんでしょう。一生忘れられない誕生日ね。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;それからはケーキを切って、本当になごやかに、笑って笑った。&lt;br /&gt;台湾旅行の最終夜にこんな仕掛けを考えて、計画を練りに練ってくれたKo君、Ka君に賛嘆がやまなかった。&lt;br /&gt;酔いつぶれた人もいたけれど、天国にいるような笑顔で、酔いつぶれながら全員と手を握り合って、みんな幸せな気持ちになった。&lt;br /&gt;本当に幸せな旅行だった。もう学生のみんなに感服です。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>日々のこと</dc:subject>

<dc:creator>平山 満紀</dc:creator>
<dc:date>2008-09-20T22:59:00+09:00</dc:date>
</item>
<item rdf:about="http://www.hirayama-body.com/column/2008/09/post-38cc.html">
<title>悲母観音</title>
<link>http://www.hirayama-body.com/column/2008/09/post-38cc.html</link>
<description>９月１０日（水） 藝大美術館に、「狩野芳崖　悲母観音への軌跡」を観にいった。 狩...</description>
<content:encoded>&lt;p&gt;９月１０日（水）&lt;br /&gt;藝大美術館に、「狩野芳崖　悲母観音への軌跡」を観にいった。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;狩野芳崖「悲母観音」は、日本人の心の原点、と言われることがある。&lt;br /&gt;私も、自分の母としての性質を、どのように成長させればよいか模索しながら、この像から限りなく示唆をもらってきた。&lt;br /&gt;そのため、この絵の誕生の秘密に私も深い関心をいだく。&lt;br /&gt;会場は賑わっていた。年配の方がめだつように思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;芳崖の数え年１１歳の「鍾軌像」をはじめとして、少年時代からの習作が一堂に見られる。仏画、風景画、山水画、肖像画、中国の画、あらゆるスタイルを模写で身につけている。この基盤が、日本画が西洋画に出会ったときの自由な飛翔の大元にあると知らされる。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;東大の哲学講師、フェノロサの影響も非常に大きい。フェノロサの影響前、芳崖は明治１６年（推定）に「観音図」を描いている。墨を基調とした、コントラストの強い、男性観音像である。その年の末にフェノロサと出会い、ともに日本画改革運動を始めていくのだが、西洋画のさまざまな影響を受けていった後、明治２０年春、「第二の観音を」描こうと発心する。畢生の作「悲母観音」である。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「日本人の心の原点」と言われるように、ほんとうにこの絵は日本人の心の深層に届く。それがここまで西洋の影響のもとに形成されたとは非常に興味深い。その形成過程をもっとつぶさに知りたいという意欲に火がついた。芳崖は、西洋画の天使像、両手を下に向けて合掌する女体像などの下絵を描いているが、悲母観音像に直接つながる下絵はない。たしかに西洋の影響は濃いが、この絵が他の絵からの影響とは違う次元の、天上的なインスピレーションによって描かれたことを示すようにも思う。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;「悲母観音」という名称は芳崖がつけたのではなく、没後に周囲の人たちによってつけられたということも今回知った。「悲母観音」のほか「慈母観音」とも呼ばれたらしい。観音菩薩は三十三の姿に身を変化させて人を救うとされているが、不空羂索観音、千手観音、馬頭観音等、その三十三ある姿の中に、このどちらも入っていない。このことも随分前に知ってから、ずっと気になっていた。日本の伝統的な発想に無い、近代的な宗教性なのだ。&lt;/p&gt;

&lt;p&gt;もっと私自身の心の原点をさぐる探索を続けたいと思う。&lt;/p&gt;</content:encoded>


<dc:subject>社会</dc:subject>

<dc:creator>平山 満紀</dc:creator>
<dc:date>2008-09-11T18:28:55+09:00</dc:date>
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